不登校、引きこもり、高校中退…今だから話せる「当時の私が期待していたこと」【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第11回
内閣府の調査で、15~39歳の引きこもりは推計54万1千人を上回っていた(2019年調査)。そして今、このコロナ禍のなかで不登校や引きこもりが急増していると噂になっている。そこで自身も高校生時代に不登校から引きこもりになり、高校を中退した『牧師、閉鎖病棟に入る。』の著者・沼田和也牧師が、今だから話せる「当時自分が期待していたこと」を赤裸々に語った。そんな悩みを抱える子どもたちと接する大人へのアドバイスにもなっているかもしれない。また、教会に相談しにくる人たちは当時の自分が出口を求めて彷徨っていた姿に重なってみえることもある、と沼田牧師は語る。
ツイッターの言葉を読むのが好きだ。どこの誰の呟きとも分からない、悲しみに満ちた言葉が流れてくる。怒りに血涙を流しながら、誰かを呪う言葉も流れてくる。そういう言葉を読んでいると、まるで聖書の続きが綴られているような気さえすることがある。
わたしは高校1年生のクリスマスに、キリスト教のなにも知らないうちに、気分で洗礼を受けた。世のなかもバブル絶頂期だったからなのかもしれないが、わたしも十代ながらも浮かれていたと思う。なにかのアイデンティティを持っているということがカッコイイ。そういうファッションの一つとして、洗礼を受けたのかもしれない。もうぼんやりとしか想いだせないが。
高校3年生になって、とつぜん学校に行けなくなった。わたしは前年の夏、『魔女の宅急便』を劇場に観に行ったことを想いだした。映画館は激混みで、当時は座席指定などなかったため、客が入れ替わる瞬間、わたしはかばんを椅子めがけて投げた。残念ながらかばんは通路に落下した。そのすぐそばにいたカップルに、わたしは大声で叫んだ。「かばんを席に置いてください!」かくして、わたしはどうにか座って『魔女の宅急便』を観ることができたのである。まわりを見渡すと、立ち見の客ですし詰めであった。
物語の中盤、キキはとつぜん、飛ぶことができなくなる。それだけではない。黒猫のジジが「にゃお」と鳴き始める。言葉を交わしていたパートナーが、野獣になってしまったのだ。キキにとって当たり前のことがすべて崩壊していく瞬間である。17歳の夏にこのシーンを観ていたとき、わたしにはそれほど強い印象は残らなかった。スランプに陥ったキキが終盤には力を取り戻すという、そのダイナミックな全体像にこそ魅力を感じたものであった。
だが、わたしはある日とつぜん、学校に行けなくなった。厳密には、校門をくぐることができなくなった。校門に近づくと吐き気を催した。かろうじて校舎に入っても行く先は保健室。当時は不登校という言葉も保健室登校という言葉もない。あるのは「登校拒否」という言葉だけだった。そんなはずはない。わたしは学校が好きだ。拒否するなどとんでもない!なぜだ?わたしは混乱し、苦しかった。親にも言えず、「行ってきます」と家を出ては、近所の公園で午後まで時間を潰した。ベンチに座って、真正面の黒々とした街路樹を凝っと見つめ続けた。そのとき、飛べなくなったキキは、なぜ飛べなくなったのか、そのことばかり考えていた。わたしはどうやったらもう一度飛べるのか。映画とはちがって、わたしにクライマックスは来なかった。わたしは高校を留年し、けっきょく退学した。