石田三成のゆかりの地を巡り「義」の実像に迫る!【滋賀県 長浜市・米原市・彦根市】
「びわ湖北東部巡り」の旅①
前述した石田町には慶長5年(1600)、関ケ原の合戦に臨む三成が戦勝祈願をしたと伝わる春日神社もある。
その際、三成はひと株の藤をみずから植えた。『近江坂田郡志』には、「嘗て石田三成当社に参拝して藤一株を手づから栽植し祈願の印とせりとて伝えて今に培養を怠らず。大いに繁茂す」との記録がある。
『三成伝説』(オンライン三成会編)は、「藤の花房は垂れ下がり、先細って行くことから、忌み嫌う武将が多かった」と記すが、三成はそうした縁起を意に介さない近代的合理精神の持ち主だったと評価している。
だが、戦勝祈願も虚しく、三成は関ケ原で敗れた。戦線を離脱し伊吹山へと逃れ、古橋にある法華寺を目指して落ちた。法華寺には三成の母の墓があったため、頼ったのだと考えられる。付き従う家臣はわずか3人だけ。急きゅう峻しゅんな山道を行く険しい道程だった。
法華寺は行基(ぎょうき)が創建した山岳信仰の古刹・己高山鶏足寺(こだかみやまけいそくじ)の別院だったと伝わるが、現在は廃寺である。当時を偲ぶ遺構として石段とわずかな石垣が残り、跡碑が立つ。碑のすぐ近くに、三成が追っ手の目を逃れて潜伏した「大お とち 蛇の岩がん窟くつ」もある。
「士は己れを知るものの為に死す」
中国の春秋時代、晋(しん)の武将・智瑶(ちよう)に仕えていた家臣の豫譲(よじょう)は、山中に逃れ主君の仇を討つことを誓った。
「士は己れを知る〜」は、その誓いが故事となって残ったものである。法華寺を目指した三成の心中も、同じであったろう。
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石田三成巡礼ツアーをさらに楽しむ方法!
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戦国武将・石田三成が生まれ育ち、秀吉と出会い、居城をもった地、滋賀県の長浜市・米原市・彦根市。3市には、石田三成公のゆかりの場所が各所にある。
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【ゆかりの地には三成マンホール】
石田会館などの近くには「大一大万大吉」を描いたマンホール。
【三成ゆかりの味「三成めし」】
三成をテーマのグルメ。和洋中の本格料理からスイーツまで多数。