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お金を無心したのは光秀か言継か

季節と時節でつづる戦国おりおり第416回

 『淡交』二月号、竹本千鶴氏の「茶人としての明智光秀」を読む。戦国時代の公家・山科言継の日記『言継卿記』元亀2年12月29日の条に「明智十兵衛尉可為不弁之由申、二百疋送之、不寄思之儀也」とあるのを「明智光秀が言継に手許不如意のため借金を申し入れ、言継は200疋を用立てた」と解釈されているのだが、これで頭が痛い。

 というのは、筆者は以前からこれを光秀が言継の手許が不如意だろうと200疋を贈った、としていたからだ。拙著にもその線で紹介している。ちなみに、200疋は銭の単位で、2貫と同じ。2000文のこと。当時の価値で15万円前後ぐらいか。

 くだんの原文は「二百疋送る」であり、言継は他の文章では頂き物をするときはきっちり「被送(送らる)」と書いているので、普通に考えれば竹本先生の解釈が正しいのだが、あえて逆としていたのには理由がある。

①当日の言継は岐阜に滞在しており、自由に融通できる現金をそれほど多く持っていたのか疑問。

②なおかつ、前日には鳴海助右衛門という信長の家臣の「内(奥方か、家来か)」から米1俵3斗を借りている状況。

③光秀は3ヶ月前に比叡山延暦寺焼き討ちを実行し、直後に延暦寺領を信長から与えられており(約13万石にあたるか)、わずかな現金に汲々とすることは考えられない。仮に当座の復興・整備資金に窮することがあっても、商業利権を狙う商人・金融業者からいくらでも借り入れられたはず

 以上の状況に加え、今回の場合はそのときその場で現金がやりとりされたワケではなく申し入れ・申し出があったという話なのではと思うのだ。

 読み下し文章にすると「明智十兵衛尉が不弁たるべきの由申し、二百疋を送ると(言った)」となる。

 この「と」は漢文調だと明記されないのだが、例えば同書の8月28日の条には「中室あこ書状有之、油煙二丁杉原一帖送之、祝着了、」とあるのだが、これはかつて朝廷の女官「一采女」で春日御師・中氏の室となっていた阿子という女性から手紙が届き、油煙(墨の原料)2丁と杉原(すいばら紙)1帖を送るとの事で嬉しい、と読み下すのが適当だろう。

 これと同様の語法・文法だと思うのだ。

 どちらが正解なのか、有り難いことに識者にご意見をうかがう機会もあったのだが、やはり見解はまっぷたつ。光秀の人となりにも関わる問題なので、引き続き検討していきたい。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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