日本人の皇室への無自覚な心理的依存としての「眞子様事変」 【藤森かよこ】
皇室なき日本という共同体は日本人の心に成立するか?
■眞子様事変における日本人の意識
外国の英国のことはさておき、我が国の眞子様事変は、多くの日本人がいかに皇室に心理的に無自覚にも依存しているかを露わにした。
私自身が、眞子様の婚約者とされる青年の母親の問題や直系親族に自殺者が多いことや、(写真や動画でしか見たことはないが)その青年の人柄の悪そうな顔つきに、「なんで寄りにもよって、そんな人と?」と実に嫌な気持ちになった。遠い親戚の長女が決行しようとしている「どうみても幸福になりそうもない結婚」の噂を耳にしたかのように。
そう思っている自分自身に気がついて私は驚いた。考えてみれば、関係のないご家庭の、すでに成人したお嬢さんの問題であるのに。皇室の女性であるのだから、眞子様は食いっぱぐれることはなく、生活の基盤は保証されているのだから、本質的には心配などないのに。
皇室の方々が、いささかでも愚かだったり、軽薄だったり、庶民なみに他愛なかったりすると、自分の親の愚かさを直視するような不快さを感じるということは、私自身が、日本という想像の共同体の要たる皇室というファンタジーを無自覚にも心の奥に抱いていたからだと、私は気がついた。
「将来、王室が英国国家という共同体意識の要にならなくなったならば、英国民は何を拠り所として共同体意識を維持強化するのだろうか」と、私は先に書いたが、この問題は日本人の問題でもある。
その意味でも、今回の「眞子様事変」は、日本人の意識をいささかでも覚醒させる契機のひとつとなるかもしれない。
ファンタジーでない生身の人間で構成する皇室を意識するならば、皇室の方々への人権蹂躙のような言論は控えるべきだし、隣人に対するがごとく節度を持って遇するべきだ。
そのようなファンタジーを必要としなくても、大きな共同体としての日本の健全な社会の構成員のひとりとしての成熟した意識を持てる人間であることを、私たちは目指そう。つまり、皇室への無自覚な心理的依存から独立しよう。眞子様事変に対して冷静になろう。愛情のある礼儀正しい無関心さを保とう。
文:藤森かよこ