あなたを苦しめる罪悪感って何ですか?【2分で読める吉田潮コラム&マンガ】
【第2回】「罪悪感」について
◆普段、どんなときに罪悪感覚えますか?
普段、どんなときに罪悪感を覚えるか、書き出してみる。
①「信号が赤だけど、車が来ていないから渡っちゃったとき」
②「収集日の翌日にゴミを出すとき」
③「あんドーナツを一袋まるまる一気に食べちゃったとき」
④「電車の座席で自分の両隣だけが埋まらないとき」
⑤「子育てに苦労している人の話を聞いたとき」
そもそも罪悪感とは、「これは罪だ」という意識がある行為や、悪いことをしたと思っているときに抱くものだ。私が抱く罪悪感について、ちょっと検証してみよう。
①の「信号が赤~」は明らかに交通ルール違反であり、罪の意識をもつのは当然だ。
②の「収集日翌日~」も住民と公共の取り決めを無視する行いで、明らかに悪い。たとえマンションの敷地内に集積場があっても本来は収集日に出すべきだ。つうか、このふたつはやめろ、って話である。さて、問題は残りの3つだ。
③の袋入りのあんドーナツだが、まるまる食べて何が悪いのか。これは私の中に「油と糖と炭水化物の華麗なるコラボはハイカロリーで確実に太る」という概念があるからだ。自分を律することができずに一気食いしたことに罪の意識があるのだが、誰かに迷惑をかけたわけでもなく、法律や条例を破ったわけでもない。根底に「太ることはよろしくない」という概念があり、太っていることへの蔑視があるとしたらそっちのほうが問題である。ハイカロリーの食べ物に罪悪感を覚えるほうが実は不健全ではないかと思い始めた。
そういえば、ポテチで有名な湖池屋が「罪なきからあげ」なる商品を発売した。大豆たんぱく質でできているそうだが、Twitter上では「そもそもからあげに罪はない」という意見があって、思わず膝を打った。「鶏を殺さないから罪がない」という動物愛護の観点なのかとも思ったが、これはたぶんハイカロリーに罪悪感を覚える人に向けたものだ。何を罪とするのか、考え直さねばなるまい。
結果、あんドーナツに罪はない。むしろ、このうえない多幸感をもたらす神の褒美とも言える食べ物だ。感謝を込めて食べろ、っつう話である。
④は説明しよう。気のせいかもしれないが、電車の座席に座っていると、自分の両隣だけ空いていると感じることが多い。他の席は埋まっていく。もしかして、私の体が大きいから「隣に座ったら窮屈」と思わせてしまっているのかな。それとも「なんか顔が怖いオバちゃんだからやめとこう」とか思わせてしまっているのかな……なんてことをつらつらと考えちゃうのだよ、総武線の中で。
自分としては極力、肩を狭めて、膝を閉じて、コンパクトにキュートに収まっているつもりなのだが、加齢によって膝は時間と共に開いちゃうものだ。さすがにほうれい線の深さと眉間のシワは消せぬ。
こんなどうでもいい、余計な罪悪感を抱くようになったのは、経験があるからだ。飛行機や新幹線の座席に座っていると、傍目には「みっちり感」があるらしい。自分はとても快適に座っていたのに、同行者から「大丈夫?きつくない?」と何度か聞かれたことがあった。「幅をとっているように見える」のだと気づかされた。
また、近所を歩いていたときの私の姿を見た知人が「この前、ものすごく怒って歩いていたでしょ?」という。「機嫌悪そうだったから話しかけなかった」ともいう。思い当たるフシがまったくない。ごく普通にぷらぷらとコンビニへ行っただけなのに、傍目からは「憤怒の形相で急ぎ足」と思われたのだ。
まあ、この罪悪感は些末な妄想であり、根はそんなに深くはない。平日昼間の下りの総武線はガラガラにすいているので、さほど人様に迷惑もかけていないだろうと信じている。
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