その時「敵機100機以上! 操縦士の顔が見える‼️ 」米軍の波状攻撃に「大和」機銃が間に合わない‼️【特攻まであと5日】
戦艦「大和」轟沈 75年目の真実②
■敵機との最接近距離は操縦士の顔も認識できるほど
第1次攻防戦第1波の「敵機は100機以上、突っ込んでくる」に対して操舵の号令は、
「オモーカージ」(面舵)
「イッパーイ」(一杯)
「イソゲ」(急げ)
「モドセ」(戻せ)
「トリカジニアテ」(取舵に抵)
「トーリ カージ」(取舵)
「ヨーソロー」(宜候)
「カジチューオゥ」(舵中央)
「イソゲ」(急げ)
「シズカニ」(徐々に)
であった。
戦闘中に急激な転舵を行なった時、舵取機操舵通信器が示す普通時の電流は210から300アンペアだが、瞬間最高電流時には450から650アンペアに達する。だが舵取機操舵通信器には異常が認められなかった。
転舵時の船体の傾斜は、初期においてわずかに旋回の内側に、旋回を始めると外側に傾斜する。その理由は、初め舵を取るやその舵に当たる水の圧力の中心は、普通船体への水の抵抗より下にあるため、例えば面舵の場合、船体を右に傾けようとして働く復元力と釣り合うまで船体は傾く。それなのに、船体が旋回を始めれば船体の重心に向かって働く遠心力との偶力(作用点を結ぶ方向と力が一致しない場合)が打ち勝ち船体を左に傾け、復原力と釣り合うようになって止むことになる。
第1波は十数機程度の波状攻撃で、厚く垂れ込めた雲間から出た瞬間にはすでに投弾が完了した状態だった。艦隊からの発砲はいわゆる追い撃ちになった。 大編隊の先頭を切る「ベニントン」所属の第82爆撃機中隊11機は、最初の攻撃を決められていた「ホーネット」隊に攻撃路を開くため、大きく旋回を取ろうとしたとき、突然攻撃を命令された。
それは最初に「大和」攻撃の態勢に入ろうとした「ホーネット」所属の第17爆撃機中隊の急降下爆撃隊14機が、「大和」の発砲を示す閃光を認めると避弾のため急旋回をとり、攻撃を遅らせたからであった。
この「大和」の射撃で損害を受けた飛行機はいなかった。このため第82爆撃機中隊は直ちに攻撃を開始した。しかし、「大和」を攻撃できるか否かは、厚い雲から現われた位置に左右された。避弾運動をとりながら標的に緩降下する各機の角度はさまざまであった。 4機が「大和」の艦首尾線に沿って、北から南に向かいながら投弾、増速して避退した。
攻撃機は雲高およそ800メートルの厚雲の下限を突っ切るような感じで、猛烈な勢いの逆落としでやってきた。
急降下爆撃機はコンマ一秒後に調整された遅延信管付き千ポンド半徹甲爆弾2発を一斉に投下した。計8発の爆弾が、高度760から300メートルの間で「大和」に投下された。 「大和」の機銃指揮官が密雲から飛び出てきた飛行機を認めたとき、黒い塊も迫ってきた。「あれ」といって狙わせたが、機銃の旋回が間に合わない状況だった。敵機の操縦士の顔が見え、一番近い距離は1000メートルもないくらいであった。
指揮官機の爆弾は、右舷3番94式高射装置の後方にある15番25ミリ三連装機銃座を削って艦内の上甲板で炸裂した。そして爆弾が貫通した穴からは煙が立ち昇った。 指揮官機に続いて爆撃した2番機は、「大和」中央構造に起こった火焔に引き続く黒煙を伴う激しい爆発で、明らかな直撃弾を目撃した。 また、急降下からの機体の引き起こしを終えた指揮官機は、艦橋前方と別に後部マストへの2発の命中を観測した。 観測が正確とするなら、この攻撃隊は少なくとも3発の直撃弾を主張できた。しかし一斉に投下された2発の爆弾による同時爆発を、ひとつの命中と報告されるかもしれなかった。 このような米軍の攻撃記録に対し軍艦大和戦闘詳報は、
「12時40分、百度に左一斉回頭、90度方向よりSB二C数機急降下に入る。1機撃墜。
12時41分 単独面舵。最大戦速。後檣付近に中型爆弾2発命中。後部射撃所、2番副砲、13号電探破壊」
と被害を記録している。 激闘の中、この日米の記録はおおむね一致していた。〈その時「大和」轟沈まであと4日へ・・・つづく〉
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