東日本大震災、激痩せ、セクハラ、母の死。浅田真央『世界フィギュア2011』の苦闘
もう一度、人生があれば、スケートの道には行かない
■もう一度、人生があれば、スケートの道には行かない
ではなぜ、浅田はこのとき激痩せ状態だったのか。一卵性親子とまで呼ばれた母親は「週刊女性」の取材に「未曾有の大震災の後だというのにスケートなんてやってていいのかな」という悩みからだと語った。しかし、彼女は娘が何にいちばん悩まされているのかを知りつつ、あえて言わなかったのである。
それは、母親自身の健康問題だ。約20年間、肝臓の病気に苦しみ、この年に入ってからは移植手術をするかどうかの決断を迫られていた。 適合検査の結果、医師はHLA(ヒト白血球型抗原)の相性がよい姉・浅田舞からの移植をすすめ、舞も「ママが長生きできるなら」と了承。ところが、直前になり、母親はこう言い出した。
「やはり、大事な娘の身体にメスを入れられません」
こうして、父親がドナーとなり、8月に手術。しかし、その4ヶ月後、母親は他界する。肝硬変による、48歳での死だ。このときグランプリファイナル出場のため、カナダに滞在していた浅田は棄権をして帰国したが、最期には間に合わなかった。
もちろん、舞がドナーになっていても、移植がうまくいったかどうかはわからない。ただ、母親にはスケートにおいて妹の影に隠れることとなった姉を不憫に思う気持ちがあったようだ。彼女いわく、
「舞が16歳で真央に負けたときのことを私は一生、忘れないわ」
真央が優勝したジュニアの日本選手権で、2位になった舞は世界ジュニアへの出場を逃し「もうスケートしたくない」と言ったという。実際、そのあと、姉妹の関係がギクシャクしたりもした。が、母親の病気が重症化するなかで、絆は前より強くなっていく。やがて、舞はスケートをあきらめ、タレント業に新たな道を見いだした。
とはいえ、母親は姉妹の行く末が心配だっただろうし、特に真央についてはせめて引退までそばにいてやりたかったのではないか。ロシア人コーチに指導を続けさせるため、病身をおして現地に飛び、説得したほどなのだから。そういうことが母親の生き甲斐でもあった。
06年に出版された『浅田真央、15歳』(著・宇都宮直子/文藝春秋)には、母親のこんな言葉が紹介されている。
「忙しくて、花を育てる暇がない。私はもう主婦とは言えないと思う。その分、母親を頑張ってる。二十四時間、子供のことしかないからね。リンクにいる時間は子供よりも長いよ、真央と舞の二人分」
それでも、健康が衰えるにつれ、そういうこともできなくなっていく。特にスケートひと筋だった真央のことは心配だったようで「週刊女性」では「どんどん親離れさせないとね」「なんでも、ひとりでできるようにさせたいの」と語っていた。半年後に訪れる、永遠の別れを予感していたのかもしれない。
ただ、この取材の最後には記者の手を握り、こう言ったという。
「女の子を育てるって、本当に楽しいから!」
花を育てる暇がない、と言いながら、この母親は花のような娘たちを育てあげた。志なかばではあっただろうが、女性として充分に幸せな人生だったはずだ。
では、育ててもらった花の気持ちはどうだろう。17年に引退したときの会見で「もし生まれ変わるとしたら?」と質問された浅田は、こう答えた。
「もし、もう一度、人生があれば、スケートの道には行かないと思います」
世界中を転戦して、親の死に目にも会えないフィギュアの世界の苛酷さ。スケートのせいで最期の看病もできなかったことを、彼女は悔やんでいたという。せめぎあう葛藤に身も心も引き裂かれるような、競技生活でもあったわけだ。
新旧交代が激しく、いまや戦国期というべきフィギュアの女子シングル。21世紀になってから、世界選手権で3度の優勝を果たしたのは浅田真央しかいない。
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『痩せ姫 生きづらさの果てに』
エフ=宝泉薫 (著)
女性が「細さ」にこだわる本当の理由とは?
人類の進化のスピードより、ずっと速く進んでしまう時代に命がけで追いすがる「未来のイヴ」たちの記憶
————中野信子(脳科学者・医学博士)推薦
瘦せることがすべて、そんな生き方もあっていい。居場所なき少数派のためのサンクチュアリがここにある。
健康至上主義的現代の奇書にして、食と性が大混乱をきたした新たな時代のバイブル。
摂食障害。この病気はときに「緩慢なる自殺」だともいわれます。それはたしかに、ひとつの傾向を言い当てているでしょう。食事を制限したり、排出したりして、どんどん瘦せていく、あるいは、瘦せすぎで居続けようとする場合はもとより、たとえ瘦せていなくても、嘔吐や下剤への依存がひどい場合などは、自ら死に近づこうとしているように見えてもおかしくはありません。しかし、こんな見方もできます。
瘦せ姫は「死なない」ために、病んでいるのではないかと。今すぐにでも死んでしまいたいほど、つらい状況のなかで、なんとか生き延びるために「瘦せること」を選んでいる、というところもあると思うのです。
(「まえがき」より)