「人は何歳からおじさんやおばさんになるのか?」新しい挑戦ができないと悩むあなたへ【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第12回
冒頭のおじさんもそうだった。彼はわたしと違って精神障害ではなかったし、中間管理職として会社にも毎日出勤していた。だが彼はとてもつらい事情を独り抱え込み、自分のことを「社会のレールから外れてしまった」と強く責めていた。はたから見ていて、ほんとうに心が痛む状態であった。彼が初めて教会にやってきて、わたしに苦しみを吐露したとき。わたしは聖書の詩編にある、こんな言葉を想いだしていた。
‘わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。 ‘
詩編 22:2
‘わたしは虫けら、とても人とはいえない。
人間の屑、民の恥。 ‘
詩編 22:7 いずれも新共同訳
最初の言葉のうち「わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか」は、十字架に磔となったイエスが、激痛と絶望のなかで絶叫した言葉でもある。その同じ詩編22篇のなかに、自分なんか虫けらだ、人間の屑だと。恥でしかないじゃないかと。そういう言葉もまた連ねられているのである。彼は物静かな人で、泣いたりわめいたりすることは一切なく、むしろ笑顔さえ見せながらわたしに事情を話した。しかしその笑顔には寂しさが滲み出ていた。今さら自分になにができるというのかと。自分は完全に、生き方を間違えてしまったと。もうどうすることもできないじゃないかと。
そんなおじさんとわたしは、かれこれ2年以上はつきあいを持っている。そういうなかでの冒頭の出来事であった。彼は苦しみぬいた末に、今の仕事を続けながらも若いときとは違う仕方で、地味に、しかし確実に、自分がずっとやりたかったことを始めたのだ。しかしそれは、いちど深い挫折の痛みを経験し、その傷痕を抱えたうえでの、若い頃とは一味も二味も違う、むしろ若い頃には決して味わえなかったであろう、静かな喜びをともなう出発なのである。だからわたしは、それがまるで自分のことであるかのように嬉しかったのだ。かたちはぜんぜん違うけれども、わたしもまた精神科の閉鎖病棟のなかで、自分がおじさんであることを知り、変化を促され、勇気を出して一歩、踏み出したからである。
人は何歳からおじさんやおばさんになるのか。正確には分からない。人によってもちがうと思う。ただ、わたしなりに感じることを言わせていただければ、おじさんやおばさんになるのは、若い頃に持っていた夢や希望──具体的なそれらでなくても、そういう夢や希望を持つことができるという可能性そのもの──を諦める、そのつらさを知ったときなのかもしれない。いきなり挫折が襲ってくることもあるだろう。なにかの試験に失敗したり、外的な災難に襲われたり、離婚したり。あるいは、一見ポジティヴに見える出来事のなかでも、独りひそかに夢を諦めることだってあるだろう。結婚や出産を優先するため、長年追いかけていた夢を諦めざるを得なかった人。そんな人たちの話を聞かせてもらうこともあった。一方で、具体的な「これを諦めた」という自覚をともなわないこともある。年齢を重ねていくなかで不意に振り返ると、いろんなものを諦め捨てていた、そのことに気づいて愕然とする。それもまた苦しいことである。こんなふうに諦めるつらさ、人生の苦みを味わったとき、人は自分がもはや若者ではなく、おじさん、あるいはおばさんになったと気づくのかもしれない。
「何歳からでもやり直せる」とは言う。しかしそれがどれほど難しいことかは、わたしも閉鎖病棟で痛いほど味わわされたことである。何歳からでもやり直せるという言葉があまりにも空虚だからこそ、人は多くのものを諦め、手放しながら生きていくしかないのである。それが現実である。そもそも、「何歳からでもやり直せる」という表現は、あまりにもドラマティックすぎるのではないか。たとえば一念発起、起業して大成功を収めるとか。一発逆転、ぜんぜん違う分野で高い評価を得たとか。自己啓発本にありそうな、そういう「何歳からでもやり直せる」である。そんなことができるのは、ほんのわずかな人だけであろう。
おじさんが話してくれたことは、そういうことではなかった。プライバシーのため話せないが、もしも話せたとしてもほとんどの人が「なんだ、そんなことか」と思う程度の、ごくささやかな挑戦である。けれども、彼と2年ほどにわたる時間を共有してきたわたしにとって、それは輝かしい挑戦、大きな冒険に見える。なぜならわたし自身、やはりささやかながら、わたしにとっては至難の業であった価値観の転換を迫られ、時間はかかったものの、どうにかそうしてきたからである。
文:沼田和也
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