Q.2 お笑い芸人として転機になった“言葉”はありますか?
関根勤のお笑い人生は順風満帆に見えるが、実はそうではない…
「無茶苦茶やってクビになっちゃおうよ」
――芸能界に入っていきなり「ボコボコにされた」とおっしゃられましたが、そういう時に誰かにアドバイスをもらったりとか、なんかそういう転機になった“言葉”ってありますか?
それは、自分が吐いた言葉でもいいんですか? 実は、27年半コサキンをやらせていただいたんですが、最初ボクたち2人は、『夜はともだち松宮一彦絶好調の木曜日』というラジオの代打だったんですよ。つまり、TBSが松宮一彦さんを第二の久米宏に育てたいということで、全面的にバックアップしたんですね。それで、9時からの番組を帯で月~金でやっていたんですよ。9時というとゴールデンタイムじゃないですか。ところが、途中でテレビの方で『ザ・ベストテン』が始まっちゃった。これが視聴率が30パーセントくらいあったんです。それで、生放送でスタジオに来られない……つまり、地方でコンサートをやってる人たちに中継で出てもらってたじゃないですか。その地方の追っかけマンに松宮さんが選ばれちゃったんですよ。ということは『ザ・ベストテン』も生ですから、同じ生放送のラジオには出られないんですよ。そこでTBSでは木曜日は松宮一彦にはラジオは休ませて、看板番組のベストテンに出そうってことになったんです。木曜日が、ポーンと空いちゃうんですよ。それで、その頃、TBSにちょろちょろ出入りしていた小堺君と『ぎんざナウ』でTBSに来ていたボクを、2人で一緒になんかやらせればいいんじゃないのってことになったんです。そうやってコサキンのラジオをやり始めたんですよ。
――大きなチャンスですね!
ところが、そのラジオは松宮一彦君のファンが聴いてるわけです。そこに異色のコメディアンの我々が入ったから、ホントに人気ないんですよ。放送の前に制作室行くとハガキが曜日ごとに積まれているんです。月曜から水曜までが200~300枚あるんですよ。それで、木曜日は……ゼロに見えるんですよ。で、金曜日がまたいっぱいあるんですよ。小堺君と2人で見に行くんですが、あれ、ないか、ないかって。すると2枚あるんですよ。その2枚を分けて読むんですよ、何回かに分けて。それで、今週も2枚だよー、今週も2枚だよーなんて言ってましたね……。力も出せないし、評判も悪いし、落ち込みましたねー。
――それはかなり精神的に辛いですね。
それで毎週のように、いやー今日も2枚でしたー、今週も2枚でしたーって言ってたら、ある週に3枚来たんですよ。やったよ!増えたよって言ったら、毎週書いててくれてた大熊良太君が2枚書いてくれてた。大熊君ありがとうって。ボク、一生忘れられないですね、大熊良太って子をね。
――大熊君! 恩人ですね。
それでも、ハガキ3枚ですよ…。さすがに、嫌になっちゃったんですよ、やるのが。評判悪いし、上手くできないし、事務所の人にも怒られるし、ものすごいアウェイな感じがして……。でも、ボクらみたいなペーペーがこれだけの仕事をいただいて辞めたいって言えないじゃないですか。それでボクが(小堺君に)言ったんですよ、「じゃあ小堺君さー、オレたち、クビになろうよ」って。「どうやって?」って小堺君が聞くから、「無茶苦茶な放送しちゃおうよ」って。「いつもコントでやってるような馬鹿みたいなことをもうやっちゃおうよ」って。
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