「自分を他人と比べて、嫉妬してしまいがちな人」へ。【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第14回
なぜ人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。いつも流し台の狭い縁に“止まっている”おじさん。50年以上入院しているおじさん。「うるさいから」と薬を投与されて眠る青年。泥のようなコーヒー。監視される中で浴びるシャワー。葛藤する看護師。向き合ってくれた主治医。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた牧師がありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月を綴った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』が話題の著者・沼田和也氏。沼田牧師がいる小さな教会にやってくる人たちはどんな悩みをもっているのだろう? 今回は「どうしても自分を他人と比べることがやめられない人」へ、自分のなかの嫉妬心をどう考え、扱ったら良いのか。そのヒントになるお話。心が疲れて眠れない夜にご一読を……。
‘時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。 ‘(創世記 4:3-8 新共同訳 以下、引用は同訳)
カインとアベルとは兄弟で、弟アベルは羊飼いとなり、兄カインは農耕を営む者となった。二人はそれぞれ、自分たちが育んだものを神に供える。弟が持参した仔羊に神は目を留めた。しかし兄が持参した農作物に、神は目を留めなかった。なぜ神は弟の供え物を選んだのか。なぜ兄を、いわば無視したのか。その理由は一切語られない。それどころか、まるで神はカインの怒りを煽るかのように、彼に「どうして怒るのか」と語りかける。神はカインに対してまるで、わざととぼけてみせているかのようだ。カインの怒りは、そんな気まぐれな神への怒りであると同時に、選ばれた弟アベルへの激しい嫉妬であった。というのも、もしも神への怒りだけなら、弟を殺す理由がないからである。自分をさしおいて神に選ばれた弟への妬みは、やがて弟に対するはげしい憎しみとなった。これが聖書における、人類最初の殺人である。
わたしたちはときに、他人を妬む。カインとアベルとは兄弟であるが、それでも兄は弟を妬む。いや、兄弟だからこそ妬むのかもしれない。そもそもなんの興味もない赤の他人のことを、わたしたちは妬むだろうか。自分にとって身近に感じられて、しかし自分より少し秀でて見える、あの人。それも、その秀でて見える部分が、その人の努力の成果ではなく、偶然の結果としか思えないとき。わたしたちはその人を妬むのだ────わたしだってあの人と同じくらい、いや、あの人以上に頑張ってきたではないか? あの人とわたしと、なにがちがうというのか? なぜ、あの人のほうが結果を出せるのか? なぜ、わたしはあの人と同じように努力したはずなのに、報われないのか……。カインが選ばれなかった理由について神が沈黙するように、わたしとあの人とのわずかな差にも答えがない。神は(カインの目から見ればだが)いわば理由もなしに、カインではなくアベルの供え物に目を留めた。なぜわたしの供え物は選ばれない? その理由の分からなさが、カインの心に闇を、すなわちアベルへの嫉妬をもたらした。
神は語る。「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか」。今回はわたしではなくて、あの人が評価された。それでもわたしは泰然自若としていられるか。とても難しいことだ。だが、神があえて問うているのはそのことである。わたしたちはときに、努力したにもかかわらず結果が出せなかったり、きちんとやりとげたのに評価を得られなかったりすることがある。よりにもよってそんなときに、自分と同じ程度か、自分より劣って見えていた誰かが、結果や評価を獲得したりするものだ。そこでふつふつと嫉妬の怒りが燃え上がる。「なんであの人なんだ。わたしではなくて」と。