自分もしくは他人が「依存症」で苦しんでいるときにできること【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第15回
人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。いつも流し台の狭い縁に“止まっている”おじさん。50年以上入院しているおじさん。「うるさいから」と薬を投与されて眠る青年。泥のようなコーヒー。監視される中で浴びるシャワー。葛藤する看護師。向き合ってくれた主治医。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた牧師がありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月を綴った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』が話題の著者・沼田和也氏。沼田牧師がいる小さな教会にやってくる人たちはどんな悩みをもっているのだろう? 今回は「アルコール依存やパチンコ依存、ゲーム依存、セックス依存、薬物依存...あるいは身近なところでスマホ依存にある人に向けて牧師のことばは届くか。依存症が自分の場合もあれば、同僚、親友、彼女や家族の人にいることもある。心が依存することから解放されるには? 沼田牧師にヒントをいただきたいと思って……。
嗜癖や依存とされる一連の行為がある。アルコール依存やパチンコ依存、ゲーム依存...。ツイッターにも依存性があるかもしれない。わたしは精神科の閉鎖病棟に入院する前、ツイッター依存症状態であった。孤立感に苛まれる日々のなかで、ツイッターをしているときだけが喜びであり、ごくたまに自分のツイートがバズれば、激しい快感が身体をかけめぐった。
強い刺激を求めて、わたしはバズることを目的にツイートをするようになった。しかしそんなに都合よくバズると思ったら大間違いで、それどころかわたしのつまらないツイートを批判するリプライが返ってきたり、フォロワーが減ったりした。そうなったらなったで、ますますむきになり、わたしはツイッターにのめりこんだ。これをツイッターへの強い依存と言わずしてなんと言うべきだろうか。
今の教会で働き始めて以来、わたしはさまざまな来歴を持つ人のお話を聞かせてもらうようになった。お話をしている人の短い袖から、腕がふと見える。腕に、手首に、手の甲に、幾筋もの傷痕が見える。なかには首筋や頬にまで切り傷が刻まれている人もいた。あきらかにふつうの怪我ではなかった。
いつもお酒を飲んでいるという人もお酒が美味しいから、楽しいから飲んでいるのではなく、飲んでいるあいだだけ苦しいことを考えずに済むから飲むのであり、酔いが醒めれば再び苦しくなるから飲酒をやめられないとのことであった。わたしはこうした人たちと出遭って、過剰な飲酒とリストカットとはよく似ていると思ったものである。
過食嘔吐に苦しむ人とも出遭った。わたしと話しているときにはほんとうにふつうの感じなのだが、家で独り過ごしていると、波がやってくる。いちど波が来てしまうと、とにかく胃袋に詰め込みまくることをやめられない。胃には限界があるから、自分で嘔吐しなければならない。猛烈に苦しいという。しかしそうせずにはおれないのである。ただ、その人がわたしに「苦しいんです」と話してくれたとき、それは嘔吐が苦しいという意味なのか、それとも過食をやめられないことが苦しいのか、あるいは、そもそも過食嘔吐を誘発する原因となった、なんらかの体験の記憶が耐え難いのか、そこのところは分からなかった。もしかしたら本人にも分からないのかもしれない。
性欲に悩む人もいる。「性欲くらいだれでもあるだろう」と、読者は思われるかもしれない。だが、仕事や勉強中も性のことしか考えられなくなるほどだとすれば、どうだろう。つねに猥褻なことで気持ちがいっぱいになり、自慰行為がしたくてたまらない。だから、わずかな暇さえあればアダルト映像を見たり、風俗に通ったりしなければ我慢できないのである。わたしは幾人かの、とくに男性からそういう話を聞いた。対象が性なだけに、誰にも話せないで悩んでいる人も多い。
それを行うことで時間やお金を消尽したり、心身を傷つけたりしてしまうことが分かっているのに、やめられない。わたしたちはその行為をしている人について、どう捉えたらよいのだろうか。ある人はこう考えるかもしれない。
「人それぞれなんだから。その人がその行為によって一時的にでも心の安心を得られるのなら、それでいいじゃないか。他人が口出しすることではない」
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