日本でもイスラーム世界の理解が深かった時代【中田考×内田樹対談:質疑応答編】
『タリバン 復権の真実』(KKベストセラーズ)の発売を記念して行われた、著者のイスラーム法学者・中田考氏と、思想家であり武道家でもある内田樹氏との「凱風館講演&対談」記事が大好評だった。今回はその番外編。イベント参加者との質疑応答を記事化して公開する。日本とイスラーム世界との深い関わりを振り返り、その未来を語る。
質問者1:私は理工学部の大学生ですが、一般教養でシンガポールのイスラームの概論を取っていまして、それで興味を持って今日の講演に来ました。
その講義では、「日本とイスラーム世界はこれまですごく離れていて、接点がなかったから日本はイスラーム世界について知らなかったが、ここ数十年で研究や一般の理解が進んだ」と聞きました。例えば以前はムハンマドが「マホメット」と呼ばれていたり、イスラム教が「回教」と言われていたように、日本はイスラーム世界について全然知らなかったけど、最近すごく分かってきた……という話です。
どうして、この数十年で日本はイスラーム世界に興味を持つようになったんでしょうか?
中田:まず、今の質問には事実認識の間違いがあります。というのは、日本がもっとイスラーム世界に興味を持っていた時代があるんです。それは戦争中、日本が帝国を目指した時代です。
当時はインドネシアをはじめ、何千万人のイスラーム教徒と日常的に接し、支配しないといけなかった。ですからイスラームへの理解は今よりずっと進んでいたのです。戦後にそれが一旦切れ、そこから少し戻りつつある、という状況です。
しかも明治時代には回教として知られていたイスラームに対する違和感は現代より少なかったとも思われます。なぜかというとイスラームは、仏教・道教・儒教ほどには中国化していないとはいえ、中国に千年くらい根付いてきた宗教だからです。ですからイスラーム教徒を指す「回儒(かいじゅ)」という日本語があるのです。今の中国でも、どの地域に行っても「牛街」というムスリムの地区があり、ハラール食堂があったりします。
そういう意味でイスラームは、キリスト教のような「西洋の宗教」ではなく、同じ「東洋の宗教」だ、という意識が日本にもあったので、実は明治時代は今よりもずっとイスラームに対する拒否感は少なかったんです。
第二次世界大戦の敗戦後、日本のイスラーム研究は解体されますが、高度経済成長期の日本が一番豊かだった頃に中東は貧しかったので、個人でも中東に留学することが簡単にできました。私もそうした私費留学組の一人でした。ですからヨーロッパやアメリカに留学するよりも、直接イスラーム圏に留学する人間が少なからずいたのです。
「イスラーム世界の理解」に関して、質問にありました「回教」や「マホメット」といった呼称は本質ではなく、本質は「一次資料を読んでいるか、二次資料しか読んでいないか」です。私が留学した頃は、中東に直接行ってムスリムたちの生活を身近に見て、現地の文脈を理解した上で、イスラームの一次資料を読む人間が多くいたのですが、このような日本人は現在むしろ減っています。日本が貧しくなったので留学ができにくくなっているからです。
我々の時代には、文部省の奨学金と、戦後に講談社の社長であった野間省一が設立した「野間アジアアフリカ奨学金」というに二年間の留学制度がありました。それが今は無くなってしまったこともあり、我々の世代は最低限2年間留学していたものが、今は数ヶ月しか行けません。
日本が貧しくなったことの他に、もうひとつ、大学のキャリアパスが「2年間で修論を書いて、3年間で博論を書く」ことを基本としてしまっていることも、中東に一定期間留学する人が減っている理由のひとつです。
高校まで全く習っていないアラビア語やペルシャ語を大学に入ってから習得して、修論を2年間で書くというのは無理があるのです。中学から6年学んだ英語でさえ修士の段階で自由に読みこなして2年で修論に纏められる学生がどれだけいるでしょう。日本語とも英語とも語族が全く違い、文字まで初めて見る見知らぬアラビア文字の難解なアラビア語を学び始めて修論を欠くのに2年は足りません。ですから2年も留学している暇はないのです。ちょっと行って見てくるくらいで済ませてしまう。以前のように2年間現地で学ぶようなことはなくなっている。ですから、実はイスラーム研究のレベルはどんどん下がっているんですね。
このように、実は「近年日本でのイスラームへの関心・理解が高まっている」という事実認識は間違っているんです。ですから、今回のタリバンの件で多くの人が興味を持ってくれているので、ぜひ現地に行ってもらいたいと思っています。行きたかったら紹介します(笑)。
質問者2:私は小さなプロテスタントの教会で飯炊き係をしています。ですから先生の「ターリブが同じ釜の飯を食べる」という話に非常に共感を覚えました。
先ほどの質問への回答で中国のお話が出てきましたが、キリスト教は中国共産党から迫害を受けていまして、「キリスト教を信仰するのは勝手だけれど、集まるのはだめ。聖書を読むのもだめ」と言われているので、隠れキリシタンのような状態になっています。
イスラーム教は、そういった中国共産党の制限に対してどのような対策を取られているんでしょうか?
中田:特にウイグルの場合は、イスラーム教に対する迫害はもっと厳しく、「文化的なジェノサイド」とも言われています。私自身は言葉のインフレは嫌いなので、「ジェノサイド」という言葉を使うべきではないと思っていますが、今日はその問題には踏み込まないことにしましょう。
まずイスラーム教育について、講演でもお話しした通り本来ですとイスラーム教育は5歳ぐらいから始まります(凱風館講演(前編)参照)。しかし、「判断力のない子供に宗教を強制してはいけない」という理由で、中国共産党はウイグル人の子供に対するイスラーム教育を全て禁じています。
また、民族語の教育も禁じられています。これはイスラームだけじゃなくてモンゴル系の人も同様です。言葉ができないと、当然教育もできなくなりますね。
さらに、モスクに行っているとそれだけで疑われるような状況ですし、無理やり豚肉を食べさせられたりもしています。イスラーム教の戒律は、キリスト教よりもはるかに分かりやすいですから、その意味では隠れにくく、キリスト教よりも状況は悪いと言えるでしょう。
ただしイスラームの場合、中国伝来以来千年の歴史があるので、トルコ系、ペルシャ系のムスリム民族、母国語が中国語になり漢化したが食習慣や宗教儀礼など独自の風俗を持つ回族という漢族と違うエスニック集団を形成しています。中国では少数民族は伝統文化の保持は権利として認められていますから、その面では逆に優遇されています。しかし宗教心に関しては非常に厳しい状況と言えるでしょう。