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タリバンを知るための「教養としてのイスラーム法」入門【中田考】「隣町珈琲」前編

「隣町珈琲」中田考新刊記念&アフガン人道支援チャリティ講演(前編)

2019年2月5日にモスクワで開催された、タリバンとアフガニスタンの野党代表(当時)との会談。タリバン代表で出席したカーリー・ディーンムハンマド師(右端)。現在、タリバンによる暫定内閣では経済大臣を務めている。

■「民主主義」ではなく「制限選挙寡頭制」

 

 イスラームについて理解を深めてもらうために、「選挙」に対する考え方の違いを説明していきましょう。イスラーム的な、あるいはタリバンの考え方によると、そもそも民主主義の選挙によって政治を行うこと自体が間違っている、ということになります。

 さて、「民主主義」という言葉に対して、私は意識的に「反民主主義」を掲げています。ここで言う「反民主主義」とは、例えば日本や、アメリカ、EU諸国が「民主主義国家」であり、それらに反対している……ということではありません。そうではなく、「民主主義なんてものは現実にはどこにもない。どこにも存在しない実現もできないものに反対するのは当たり前だ」ということです。私は、日本もアメリカもEU諸国もそもそも民主主義国家だと思っていないのです。

 民主主義とは、言葉の上では単純に「多数派による支配」のことですね。ですから、多数派が支配して、少数派を皆殺しにしても、それはそれで「民主主義」になるわけです。実際にはそういう意味では使われておらず、大抵の場合、民主主義という言葉は「自由民主主義」を指します。つまり西欧が「人権」や「自由」と呼んでいるものとセットになった民主主義、という意味合いですね。

 西欧が「自由民主主義」と呼んでいるものを制度的な部分で一番表わしているのが選挙だということになっているので「選挙は民主主義の要であり大切だ」という話になるわけです。

 さて、日本などの国は一応「普通選挙」を行っていることになっています。「普通選挙」などと平気で言っている時点で、私に言わせれば「私たちは民主主義だ」という雰囲気に洗脳されていますことになります。というのも、普通選挙の何が「普通」かというと、要するに「貴族である」とか「資産家である」とかいう「資格に制限がない」ということになりますが、実は「制限がない」などということは全然ないからです。

 私は基本的に哲学者です。哲学的に考えて「制限がない」と言える選挙がなにかあるとすれば、それはおそらく「人類」という括りだけです。全ての人類が選挙権および被選挙権を持つのであれば、これは普通選挙といってもいいし、そういう選挙をした上で多数派が支配するなら民主主義と言えるだろうと思います。そして、そうでなければ全て「制限選挙」である」というのが私の立場です。

 ですから私は現在「民主主義」と呼ばれている、国籍や年齢などで選挙に参加する人間を制限する世界の現行の全ての「選挙権も被選挙権も制限された選挙」に基づく体制は、「制限選挙寡頭制」と呼ぶのが一番いいと思っています。これなら「自由民主主義」と言葉の長さも大して変わらないですし。

 

 しかし、世界には制限選挙ですらない国もあります。現在の政治学では民主主義国家においては主権者である国民が選挙で選んだ立法府が国権の最高機関ということになっています。例えばサウジアラビアは、アメリカが莫大な援助をしている国ですが立法府の議員の選挙はありません。というよりそもそも立法府自体がありません。諮問機関としての議会は一応ありますが、他の国とは違い立法権はありません。実は湾岸の国は全て実質的にはおなじようなものです。制限選挙寡頭制ですらない国も世界にはたくさんあるんです。

 一方、国王のことまで考えると、話は微妙になってきます。例えばサウジアラビアの国王は、「制限選挙寡頭制ですらない」という言い方もできますが、見方によっては、「王族会議によって選ばれている」とも言えます。その意味では「王族に制限された選挙」があることになる。

 

 ここまで広げて考えるなら、実はイスラームの考え方は「制限選挙寡頭制」であるとも言えます。イスラームにはご存知の通りスンナ派とシーア派があり、89割はスンナ派です。私もスンナ派です。

 先に結論を言うと、スンナ派の考え方は制限選挙寡頭制です。

 そして残りの12割であるシーア派は王権神授説であり、一切の選挙がありません。「リーダーは神様が決める」という考え方をしています。

 この考え方の違いを詳しく解説していきましょう。

 皆さんも「イスラーム教は預言者ムハンマドが始めた」と習ったと思いますが、ムハンマドはべつに選挙で選ばれたわけではありませんね。神様によって任命されたから、(神から言葉を預かった)「預言者」なわけです。そして私を含めて、「ムハンマドをはじめとした預言者が神から選ばれた」と信じている人たちが「イスラーム教徒」ということになります。

 さらにシーア派の場合は、預言者ムハンマドの後を継いだ指導者に関しても、ムハンマドが「神様はこの人を私の後継者に選んだ」と言ったことに従って選ばれたのだと信じています。我々スンナ派はそれを認めていません。

 シーア派の人たちは、ムハンマドの後の指導者も、神の指名によって自分自身に続く指導者を指名し、それが12人続いたと考えています。歴史の授業で「十二イマーム派」という名前を聞いたことがある人もいるでしょう。

 ところが、そのシーア派の主張する12人目の人間は、突如消えてしまいます。シーア派はこれを「神隠しにあった」と捉えていますが、我々スンナ派の人間は、「きっと暗殺されたんだろう」みたいに思っています。

 このように、シーア派では「神様がリーダーを決める」と考えるわけですから、当然選挙がありません。

 一方のスンナ派では、一応、イスラーム教徒による選挙によってリーダーが決まります。

 ただしその選挙に参加するには、イスラーム教徒である以外にも資格が必要であり、その範囲が非常に狭いのです。基本的には「イスラーム学者」と「権力者」によってリーダーを決めると、大雑把に決まっています。

「イスラーム学者」とは、イスラームの勉強している人間です。「権力者」とは、実際に力を持っている軍事司令官のような人たちです。そういう人たちが集まり、協議をして指導者を決めるわけですから、そういう意味では我々スンナ派のイスラームは「制限選挙寡頭制」なのです。選挙人の資格は他の国々とは違うけれども、「制限選挙寡頭制」という枠組みは同じだと考えています。

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中田 考

なかた こう

イスラーム法学者

中田考(なかた・こう)
イスラーム法学者。1960年生まれ。同志社大学客員教授。一神教学際研究センター客員フェロー。83年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム協会理事などを歴任。現在、都内要町のイベントバー「エデン」にて若者の人生相談や最新中東事情、さらには萌え系オタク文学などを講義し、20代の学生から迷える中高年層まで絶大なる支持を得ている。著書に『イスラームの論理』、『イスラーム 生と死と聖戦』、『帝国の復興と啓蒙の未来』、『増補新版 イスラーム法とは何か?』、みんなちがって、みんなダメ 身の程を知る劇薬人生論、『13歳からの世界制服』、『俺の妹がカリフなわけがない!』、『ハサン中田考のマンガでわかるイスラーム入門』など多数。近著の、橋爪大三郎氏との共著『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)がAmazon(中国エリア)売れ筋ランキング第1位(2021.9.20現在)である。

 

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