タリバンを知るための「教養としてのイスラーム法」入門【中田考】「隣町珈琲」前編
「隣町珈琲」中田考新刊記念&アフガン人道支援チャリティ講演(前編)
■タリバン理解の第一歩は、イスラーム法を理解すること
それではタリバンは、どのような政治を実現しようとしているのでしょうか。
イスラームは「法の宗教」です。まずイスラーム法があり、法を変えることはできません。タリバン政権もイスラーム法を変えることはできません。
タリバン政権はイスラーム法を守り実行するために政権についています。イスラーム法を破ってしまえば、そもそもイスラーム学を学ぶ者の集まりであったタリバンが存在する意味がなくなってしまいます。
イスラームの法の考え方についてさらに解説しますと、「イスラームにはクルアーンという聖典があるから、イスラーム教徒はそれを読んでいれば何をすればいいのかわかる」というのが基本的な考えです。
ですからイスラームでは、聖職者は必要ありません。先ほど説明した通りタリバンは元々イスラーム法を勉強している「学生」でしたから、聖職者でもなんでもないわけです。「自分でクルアーンとハディースを通じてイスラームの勉強をすれば、自分で判断することができる」というのがイスラームの教えの基本であり、これは男でも女でも同じです。女でも、自分でイスラームの教えを守って生きていくのです。そのためにイスラーム教徒は一生イスラームの勉強をしていきなさい、というのがイスラームの教えです。
それでもやはり人間ですから、人によってイスラームの解釈が違ってくることは当然あります。それでも何か結論を出さなければならない時のために指導者が存在しており、それが「カリフ」なのです。
現在はイスラーム世界全体がバラバラになってますけれども、本来は意見が分かれた時にはカリフという「一人の人間」が決めて、全てのイスラーム教徒はそれに従うのがイスラームの在り方です。
イスラーム法に従うとは、どういうことでしょうか。決してイスラームの教えの本質ではなく、みかけだけのどうでもよい些末事なのですが、分かりやすい「服装」を例として説明しましょう。
例えば女性は、基本的には「顔」と「手首から先」以外の身体の部分を見せてはいけない。そして実は男性も、おへそから膝までの部分を隠しなさい、というのがイスラームの教えです。
皆さんがよく知っている法律には破った時の罰がありますが、イスラーム法を破った時の罰は、来世で下されます。イスラームでは、人間が死んだ後に来世があると考えています。イスラーム法における罰とは、最後の審判の日に神によって裁かれ、裁きに従って地獄で業火に焼かれることです。この基本を分かっていないと、イスラーム法について話が分からなくなります。
イスラームでは神様は当然全知全能ですので、決して間違いません。隠していたことまですべてお見通しです。行為だけではなく、その時心の中で何を考えているかまで含めてすべてお見通しであって、その上で正しい裁きが下されるのです。
逆に言うと、私たちが生きているこの世界でも裁判はありますが、人間には心の中のことは分かりませんから、内心については来世で神が裁くのであり、人間はそこを裁かないと考えます。
キリスト教の場合は心の中のことを問うので、特にカトリックの場合には「告解」という制度があり、聖職者に秘密を全て打ち明けないとなりません。そして聖職者は神にかわってその罪を許す権能があります。
イスラームにはそういうことはありません。むしろイスラームの場合は、悪いことしても人が見てなかったら隠したほうがよいとされています。「自分は悪いことした」なんてことを言ってはいけないのです。
イスラームはこのように、現世では心の中のことは裁かないわけですが、逆に言うと、外面的なことは裁かれてしまいます。ですから、先ほど例に挙げた服装の規定のように分かりやすい事が問題になりやすいのです。
次に少し入り組んだ話になりますが、イスラーム法にある罰とは、実際には、「法を破ったことについて裁判所の判決に従って下される罰」ではありません。
例えば泥棒の場合、ある程度以上の金額の物や大金を盗んだ場合、初犯の場合は右手首を切り落とされる、とクルアーンの法によって決まっています。ところがこれは、厳密な意味では「罰」ではないのです。というのも、クルアーンに書かれているのは「盗んだ男と女の手を切り落としなさい」(5章38節)ということだからです。つまり、クルアーンに書かれている命令は「盗みをするな」ではなく、「盗んだ人間の手を切り落とせ」なのです。
権力を握った人間は、この世での裁判ですから心の中のことは分かりませんが、裁判を行った上で合理的な証拠によって盗んだことが証明されれば、クルアーンの命令に従って盗んだ人間の手首を切り落とさないといけないわけなのです。
切り落とさなかった場合は、逆に「切り落とせ」という命令に従わなかった人間のほうが来世の最後の審判で裁かれますから、嫌でも切り落とさないといけないのです。これは「手首を切り落とすなんて嫌だけど、それでもやらないといけない」ということであって、西洋とは全く考え方が違います。
同じように、例えば婚外性交を行なった既婚者は、性別は関係なく、男であれ女であれ石打ちで死刑になります。未婚の場合は鞭打ちになります。
ただしこの場合、「四人が性交の現場を見ていて、その四人の細かい証言が一致する」という条件が満たされないと姦通罪は成立しません。四人が姦通現場を見ているなんてことはほとんどありませんから、姦通罪は実際にはほとんど成立しません。道路で姦通したり、あるいは本人が言いふらさない限りは成立しないのです。
ですので、先日「音楽を聴いていた花嫁と花婿が殺された」というニュースが出ましたが、おそらくそれは間違っています。もちろん「音楽を聴いていた人間」が「殺された」のかもしれませんけれども、それは「音楽を聴いてたことが殺された理由である」ことを必ずしも意味しません。例えば、その場で乱交パーティーをやっていたとか、タリバン政権を倒す陰謀を相談していたとかいった、他の理由があったのだと思います。
タリバンの実現しようとしている政治を理解するには、まずイスラーム法とはどのようなものかを知る必要があるのです。イスラーム法について詳しく知りたい方は拙著『増補新版 イスラーム法は何か』をお読みください。
(「隣町珈琲」講演前編。後編につづく)
構成:甲斐荘秀生
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