不便で、手間もお金もかかるからこそ味わうことのできる「幸福」について【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第17回
今から27年ほど昔、その店は街もろとも地震で倒壊した。彼は仮設小屋を建て、どうにか用意した仕事道具を揃えて店を再開した。その頃のわたしはといえば、とある薬学系の大学に通ってはいたものの青息吐息、いつ中退の意志を親に打ち明けようかと悩んでいた。しかし悩んでいたのはわたしだけではなかったのである。いつものように鋏を手際よくシャキシャキやりながら、彼が漏らした。
「なあ。飲んだらすぐに死ねる薬、作ってくれへんか」
その声は、底の見えない深い淵から吐き出されていた。仮設小屋の片隅には大きな板切れが立てかけられ、木くずが散らかっていた。仏の姿が彫られている途中だった。彫られているというよりは、板のなかから仏が姿を顕しつつあるように見えた。彼は死に呑み込まれそうになりながら、同時に救いをも渇き求めていたのである。
わたしの父は倒れて右半身が麻痺してからも、散髪は必ずその店に行った。彼の饒舌と話があわず、軽い口論になることさえあったが、それでも父は「あの人には考えを改めてもらわんとあかん」とぶつくさ言いながら、けっきょく店に行くのだった。彼の子どももわたしと同様、ひきこもりや不登校など、ひととおりの道を歩んでいたらしい。父はなんだかんだ言いながら、彼を子育ての同志と思っていたのかもしれない。最晩年の父は、母に手を取ってもらいながら店に通った。父が彼以外から散髪をされたのは死ぬ直前の一回だけ、入院先の病院でのことである。かくして棺の中の父は、バリカン嫌いだった父の好まないスポーツ刈りだった。
髪は不便なものである。晩年までふさふさと若々しかった父とは違い、わたしは最近めっきり額が広くなってしまった。禿げていて、しかもぼさぼさ頭というのはお世辞にも爽やかであるとは言えないので、結果的に髪がゆたかだった頃よりも頻繁に散髪に行くようになった。安いところは安いなりのことしかしてくれない。わたしは散髪される途中の気持ちよさを求めるたちなので、どうしても少し高い店になる。ぜいたくだとは分かっているのだが、幼少時からの楽しみなのでやめられない。とにかく髪を維持するのはお金もかかるし、めんどうくさいことなのだ。
しかし、このお金もかかるしめんどうくさいことに、幸せを感じもする。横の席にちょこんと座った子どもが、「ふふふ、ふふふ」とくすぐったがりながら散髪されるのを横目で見るにつけ、ああ幸せだと思う。無駄でめんどうなことに、幸せは宿っている。それに、わたしにとっては無駄で面倒かもしれないが、切ってくれる理髪師は髪切りに人生を賭けている。彼ら彼女らは技術を磨きぬいたプロフェッショナル。ショキショキと鋏の振動が頭蓋骨に伝わってくると、どんなに目が冴えていても眠くなる。あの催眠波長を繰り出す技は、素人には決して真似できない。
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