名参謀・秋山真之が生んだ
「7段構えの戦法」
日本海海戦と東郷平八郎 第5回
ロシア海軍では軍艦の各砲が別々に射撃していたが、連合艦隊では三笠砲術長だった加藤寛治少佐が提案した一斉砲撃が採用され、同砲術長の安保清種少佐に受け継がれていた。これにより自軍の砲煙で敵艦を見失うことなく着弾を確認できるようになった。戦艦三笠では1年度分約3万発の内筒(膅)砲弾薬をわずか10日間で消費した。内筒砲射撃とは砲の中に入れた小銃口径の内筒砲を射撃して照準発射の精度を高めるものである。
魚雷発射訓練では第4駆逐隊司令の鈴木貫太郎中佐(太平洋戦争終戦時の首相)が高速近距離射法の徹底をはかり、「鬼の貫太郎」などのあだ名がつくほどのスパルタ訓練をくりひろげた。
秋山は丁字戦法の致命的な欠点を補い、魚雷攻撃を活かすために連繋機雷(後述)を考案し、バルチック艦隊との決戦では4日間の戦闘を想定した「7段構えの戦法」※を編みだした。
※第1段/主力決戦前夜の駆逐艦部隊にとよる奇襲雷撃。第2段/主力艦隊による敵主力艦隊への砲雷撃。第3・4段/昼間決戦のあった夜、再度駆逐艦による奇襲雷撃。第5・6段/夜明け後、主力艦隊による追撃し、砲雷撃による撃滅。第7段/さらに残った敵艦を事前に敷設したウラジオストック港の機雷原に追い込み撃滅。