「聖子の娘」という宿命、神田沙也加、国民の「マイフェアレディ」として生きた35年の葛藤【宝泉薫】
■「大スターの娘」というプレッシャーをさらに強めていく……
ただ、それは「大スターの娘」というプレッシャーをさらに強めることでもあった。まして、母と同じアイドルとしてのデビューだ。比較対象としての母の存在が最大の壁となり、そのアイドル活動は尻すぼみに終わってしまう。
その一方で、ドラマの共演者や音楽の共同制作者との熱愛があれば、そういうところだけは母ゆずりだと揶揄される。彼女はここでもショックを受けたことだろう。
また、当時のアイドルシーンを考えても、彼女は分が悪かった。ハロプロ(ハロー!プロジェクト)ブームの真っ只中で、彼女の1年前に歌手デビューした松浦亜弥がソロアイドルとして絶大な人気を獲得。「聖子の再来」とまでもてはやされていたからだ。
この状況は、80年代のアイドル・岡田有希子がおニャン子ブームのなかで埋もれていった状況と似ていなくもない。なお、岡田は聖子の事務所の後輩でもあり、その結婚による穴を埋めるべく「ポスト聖子」としても期待されていた。86年4月の飛び降り自殺には、そこから来る重圧も理由として推測されている。その半年後、聖子が産んだ沙也加が今回、似た最期を遂げたことにも複雑な思いを禁じ得ない。
とまあ、大スターというのは周囲に多大な影響を及ぼす。それが実の母ともなれば、なおさらだ。そもそも、親の生きるパワーが強すぎると、子供はパワーを吸い取られてしまうのか、どこか脆い生き方になることがままある。有名人の子供が悲劇的な人生を送りがちなのもそのためだろう。
沙也加の場合、幼少期の淋しさだったり、イジメによるトラウマだったりが、尾を引いていたとも考えられる。こうした人生の傷は容易には癒えず、むしろ見えないところで深くなったりもするからだ。
そういう傷を理解するには親は何かと強すぎて、頼りになりにくい。それはむろん、親の罪でもないだろう。有効なのは、恋愛や結婚、出産などによって安心できる関係性を新たに築くことだ。その点、沙也加は2017年に結婚したものの、2年で離婚。子供にも恵まれず、残念な結果となった。
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