「親ガチャ」の前に「時代ガチャ」を生きる「親と子どもたち」と児童虐待事件の増加。「こども家庭庁」は救いになるか?【藤森かよこ】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「親ガチャ」の前に「時代ガチャ」を生きる「親と子どもたち」と児童虐待事件の増加。「こども家庭庁」は救いになるか?【藤森かよこ】

高度情報化社会において家族は解体するので、子ども養育の社会化を進めるしかない

 

■問題は子どもの養育だ

 

 ともあれ、問題は成人前の子どもの養育だ。特に乳幼児の養育だ。「人の生き方はそれぞれあって、価値観はいろいろだから、親が養育に自分の労力や時間を割きたくないならば、子どもの養育は他人や施設に丸投げする生き方もあっていい」というような考え方は、まだ一般的ではない。

 しかし、これからは、そういう生き方を認めるしかないようになる。なぜならば、「人の生き方はそれぞれあって、価値観はいろいろだから、親が養育に自分の労力や時間を割きたくないならば、自分の子どもの養育も他人や施設に託す生き方もあっていい」と考えて実行する人間を無責任だと責めても、しかたないからだ。責められても人間は変わらない。経済的に困窮しているわけでもないのに、給食費を払わない親は珍しくないのが現代だ。

 子どもを産み育てるということは、大きな喜びである反面、実に面倒で厄介で疲れることだ。親になるとはそういうことだ。

 しかし、子どもの養育のために自分の気ままを抑制できない人間は存在する。「自分に正直に生きること、自分がしたいことをして生きること」を、行き当たりばったりの衝動で生きることと勘違いする類の人間は少なくない。

 子どもは自分で望んで生まれたわけではない。たとえ行き当たりばったりの事故のような妊娠の結果にせよ、製造してこの世に出したのは親なので、一方的に親に責任がある。この事実は厳しい。その厳しさに耐えることができず、子どもの養育から逃げる人間は、増えることはあっても減ることはないだろう。

 

■もう母親は我慢しなくなる

 

 今はまだいい。子どもの養育を丸投げされた母親(女)は、かろうじて我慢しているから。子どもの養育の責任から多くの母親は逃げていない。

 おかげで、多くの父親(男)は、子育てに自分の妻がどれだけの労力と時間を割いているのか想像することから逃げることができている。子どもに問題が生じると、母親の責任にして、子どもの問題と向き合わずに逃げることができている。

 しかし、すでに、それにも限界が来ている。「自分に正直に生きること、自分がしたいことをして生きること」が推奨される時代に生まれ育った女性は、子育ての苦労を全部引き受ける気などないし、引き受けることができない。

 2018年にNHKの『おかあさんといっしょ』で11代目歌のお兄さんの横山だいすけが歌った「あたしおかあさんだから」(作詞のぶみ)という歌が批判にさらされるという出来事があった。

 この歌の歌詞内容は、大雑把に言えば「キャリアウーマンで仕事していたけれど、今はおかあさんになったので、眠いけど朝は早く起きて苦手な料理も頑張ってる。大変だけど、おかあさんになれてよかった」だ。

 この歌詞が、「女性蔑視で母親に犠牲を強いている」とか、「献身的な母親像を呪いのように押しつけている」とか「ワンオペ育児礼賛歌」だとか、「子どもが聴いたら、おかあさんは僕を産んで苦労してるんだと思い、子どもが傷つく」とかの批判を受けた。反対に、「あたしおかあさんだから」のどこが悪いのかという支持派の意見もあり、ネット界は「炎上」した。

◆元うたのお兄さんの「あたしおかあさんだから」が炎上するワケ(千田有紀) – 個人 – Yahoo!ニュース

◆「あたしおかあさんだから」のぶみさん作詞の歌詞全文とその後の論調まとめ – まるまる録 (tankanokoto.com)

 

 あまりの批判を受けて、作詞者も歌のお兄さんも「謝罪」した。もちろん番組の中でこの歌は歌われなくなった。

 10年前なら、このような炎上は起きなかったに違いない。母親ならば、子育て期間は子ども中心の暮しがあたりまえという考え方を、若い母親も共有していたから。

しかし、今は、若い母親の多くは、たとえ子どもが幼くても母親の枠に縛られて生きたくない。子育ての責任を丸投げされることは理不尽だと思う。地縁血縁共同体が壊れた現代における孤独な子育て(孤育て)の不安を自分だけ抱えるのは不当だと思う。子どもの相手ばかりしている間に社会から置き去りにされるような気持ちになる。

 だから、若い女性の自殺者の中には、「孤育て」に疲れ追い詰められた乳幼児の母親が少なからず含まれている。母親を自殺へと追い詰める「孤育て」を防ぐために ~子育てを地域で支え合う~ | 認定NPO法人フローレンス | 新しいあたりまえを、すべての親子に。 (florence.or.jp)

 このような若い母親のことを、ひ弱だとか幼稚だとか批判してもしかたがない。ひ弱で幼稚な人間でも生きて行ける社会を、文明化され進化した社会として、人類は作ってきた。母親になったらからといって、誰もが「キャピキャピした女の子」から急に「強靭なおかあちゃん」になれるわけがない

 子どもを産んでも、100%母でいることに抵抗する女性は、すでに1970年代から出現していた。たとえば、松本大洋(1967-)の自伝的漫画『Sunny(小学館、2015)だ。この作品は、2017年に第20回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した。

 この漫画の主人公の春男の父母は健在だが、どちらも彼を養育する気がない。春男は養護施設(1997年以前はそう呼ばれていた)に自分が預けられたと知ったときに、髪がすべて白髪になるほど嘆き泣いた。母親は、自分が母であることを受け容れられず、息子に対して、私をお母さんと呼ぶな、〇〇さんと名前で呼べと言う。

 この漫画の時代設定は1970年代だ。この母親は息子と久しぶりに会っても嬉しくない。息子をどう扱ったらいいのかわからない。こういう母親像は極端な例ではある。それでも、自分が産んだ子どもの養育に自分の時間と労力を費やす気はない現代のある種の女性たちの先駆だ。いつまでも青春をしていたいある種の現代人の典型だ。

 おそらく、親となる人間の半分が親業をする気がない時代が近づいている。

次のページ子どもの養育の社会化に潜む危険もある

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藤森 かよこ

ふじもり かよこ

1953年愛知県名古屋市生まれ。南山大学大学院文学研究科英米文学専攻博士課 程満期退学。福山市立大学名誉教授で元桃山学院大学教授。元祖リバータリアン(超個人主義的自由主義)である、アメリカの国民的作家であり思想家のアイン・ランド研究の第一人者。アイン・ランドの大ベストセラー『水源』、『利己主義という気概』を翻訳刊行した。物事や現象の本質、または人間性の本質を鋭く突き、「孤独な人間がそれでも生きていくこと」への愛にあふれた直言が人気を呼んでいる。  

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