「なんでこんな子がAV女優に」という言葉は、
はたして今も成立するのか!?
現在観測 第21回
90~00年代は「AVは人生を詰んだ女性がイヤイヤやるもの」といういわば底辺の仕事として認知され、その苦役の報酬として高額のギャラが保証されていた。しかしご存知のように10年代になってAV業界は圧倒的な買い手市場となっている。
主な要因はなによりデフレ不況である。
そしてアイドル的活動によりAV女優が昔と比べ市民権を得たこと、それによる影響で心理的ハードルも下がり出演志願者が増加した。
一方で深刻なDVDの売り上げ不信により業界内でも競争が激化し、単に女性が裸になるだけでは稼ぐことができなくなってきた。プロダクションの門戸を自ら叩いたとしても門前払いされることも珍しくない。出演料も下がっている。
業界に足を踏み入れた女たちは持ち前の容姿や外見はもちろんのこと、巧みなセルフプロデュースによって生き残りをかけているのだ。世間で認知される「AV女優」とはそんな業界における生存競争をくぐり抜けた「デキる女」たちなのだ。
ではそんな彼女たちの仕事への──つまり裸になることへの抵抗は完全になくなったのか、となると答えはノーだと思う。
経済状況や倫理観の変化でAV女優となるハードルは下がったとはいえ、女性として生まれ持った恥じらいや葛藤、将来への不安が一掃されたわけではない。
現在、「親公認AV女優」という連載をさせてもらっているが、そこで彼女たちに話を聞いているとその親子関係も「AV女優だから」といってもさほど特殊なものにはなり得ていないと感じる。ときに複雑なエピソードもあるけれど、やはり裸になることへの抵抗、娘が抱く親への申し訳なさ、親が抱える不甲斐なさ、みたいなドロドロしたものは一定の熱量で存在し、これからも受け継がれている。
同時に親子の関係性は十人十色だし、100人いたら100のエピソードが浮かび上がる。書き手としては「AV業界ならでは」とも言われるユニークな親子関係およびその法則があぶりだせたらどんなにかいいだろうと思う。明快で分かりやすいドラマを世に対して訴えることができるだろう。
しかし残念ながらその多様性ゆえ、結果として「人それぞれ」といった凡庸で釈然としない答えが導き出され、目の前にずしりと横たわる。そしてその答えそのものがAV業界とそれ以外の世界は果てしなく地続である事実を雄弁に物語るのだ。