2021年最大の訃報・神田沙也加の悲劇をめぐる「違和感」と「やっぱり感」【宝泉薫】
なお、衝突と和解を繰り返したこの母娘はここ数年、没交渉だったようだが、遺伝子を引き継ぎ、似た人生を歩みつつあった沙也加は聖子のこともある程度、許容できつつあったのではないか。恋に翻弄されながらも、芸に生きる母のたくましさは、娘にとって道標にもなり得たはずだ。
しかし、彼女が出演したある番組を見返していて、ちょっと絶望に近い思いにとらわれた。2015年3月放送の「A-Studio」(TBS系)だ。前年に大ヒットしたアニメ映画「アナと雪の女王」により、評価を高めていた時期とあって、トークからは自信がうかがえたものの、番組終了後、次の番組「NEWS23」の特集企画の予告が流れたのである。
それは「教祖の娘 素顔で語るオウムと父」という、麻原彰晃の三女へのインタビューだった。その瞬間「子供は親を選べない」という世の真理が思い浮かんでしまったのだ。むろん、麻原がやったことは聖子とは違うが、ともに歴史に名を残す存在ではあり、そういう人の子供に生まれるのはなんにせよ大変なことだろう。
そんな親のパワーに翻弄されないためには、同等以上のパワーが必要かもしれない。同じ業界で生きようとするならなおさらだ。聖子のパワーと同等というのは、あまりにもハードルが高すぎる。
そういう意味で、沙也加はよく健闘したし、聖子も、そして正輝もやれることはやったのではないか。頑張ってもどうにもならないことも、世の中にはあるものだ。
ともすれば違和感もある報道のなかで、この死には、そんな「やっぱり感」を抱いてしまう。哀しみとともに、それはずっとくすぶり続けるのかもしれない。
文:宝泉薫(作家・芸能評論家)