「世界のエリートはみなヤギを飼っていた」田中真知×中田考によるウイズコロナ小説【第1回】
第1回 リュウがカーナビと言い争って高速道路の星をめざすこと
ゼミの合宿に出かけるのに必要だからといって親から借りた車だ。
エンジンをかける。
カーナビが女の声で「おはようございます、今日は7月22日、火曜日です。ETCカードが挿入されていません」といった。抑揚のない声。
「行き先をいってください」ナビがいった。
はっ? ナビのくせに偉そうになにいってんだ。
リュウは無視して、車を出し、マンションの前の通りに出た。
すると、ふたたびナビが「行き先をいってください!」といった。前より音量がでかい。
なんてナビだ。オヤジ、こんなのを使っているのか。
「うるせー! 黙ってろ!」
リュウは思わず怒鳴りつけた。すると、ナビが突然男の声に変わり、「どこ行くんだって聞いてんだろうが!」と凄んだ。
ギョッとしてハンドルを離しそうになった。
ナビのモニターに目をやる。とくに変わりはない。デジタルの地図の上で車の位置を示すカーソルが動いている。
リュウはそのまま車を走らせた。
幻聴だったのか? だからナビなんていやなんだ。
「耳が聞こえないのか! それともおまえはバカなのか?」
またさっきの男の声がした。
リュウは思わずブレーキを踏んだ。
だれか乗っているのか。
後ろの席を覗き込んだ。
だれもいない。
「走るのか、走らないのか、どっちなんだ!」
男の声が車の中に響いた。
なにがどうなっているんだ。
「うるさい! オレの勝手だろう。ナビのくせにいちいちうるせーんだよ」
リュウは思わず怒鳴った。
リュウはナビのスイッチを切ろうとした。しかしどこかスイッチかわからず、しかたなくエンジンを切った。静かになった。
頭が混乱していた。そのときうしろでクラクションが鳴った。リュウは道の真ん中で停まっていたことに気づいた。またエンジンをかけた。
「おはようございます、今日は7月22日、火曜日です」
ナビが何事もなかったかのように抑揚のない声でいった。女の声だ。
直ったのか? さっきのは突発的なエラーだったのか。
修理するようオヤジにいっとかないとな。
「行き先をいってください」ナビが女の声でいった。
リュウは無視して車を発進させた。ところが、ナビがふたたびさっきの男の声で「いてーな、いきなり切りやがってどういうつもりだ」と凄んだ。
ナビのくせに痛いんだ、とリュウは妙に感心し、すこし冷静さを取り戻していた。もちろんなにがどうなっているのかわからなかったがが、少なくとも、このナビ野郎と自分とはうまがあいそうにないことだけはわかった。
「どこ行くんだよ?」
「……」
「どこ行くかもわからないのか?」
「……」
「だから、おまえはダメなんだ」
「……」
リュウは無視してスピードを上げた。車の間をすり抜けるように左右に車線を変えながら走った。
「なんちゅう運転だ。危ねえだろ!」
かまわずアクセルを踏み込んだ。今朝起きたとき、なにかが起きると思ったのは、このことだったのか。
リュウは、内心、もっと強烈な、それこそ人生を一瞬にして根こそぎひっくり返してしまうようなものを予想していた。壮大なオープニングテーマにつづいて不良に襲われている美しいヒロインを助けたり、なにか大きなミッションを与えられたり、あるいは世界的に有名になったり。そこまではいかなくても、もうちょっとドラマチックな展開が待っていると思っていた。
「どこ行くんだよ? そんなことも答えられないなんて、おまえは幼稚園児か? あっ?」
柄の悪いナビだ。どういう親に育てられたんだ。いや、どんなやつがこんなプログラムを組んだんだ。
「おまえ、もういちど幼稚園からやり直したほうがいいな。連れて行ってやろう。このあたりの地理にはくわしいんだ。次の交差点を右へ曲がれ、その先150メートルで左方向だ」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
ナビを切るスイッチはどこだ。リュウは左手の指でモニター上のボタンに片っ端からタッチするが反応しない。
「ちゃんと前見て走れ!」
「黙ってろ!」
ナビが左というとリュウは右へ行き、止まれというとスピードを上げた。後ろからクラクションがけたたましく浴びせられる。
「おい、どこへ行く!」
オレだってわからない。おまえがとやかくいうからだ。おまえのいうことは聞かない、リュウはナビにむかって怒鳴った。