牧師が見つめた性的な悩みの世界。公では語られない性的な場に「救い」があるとしたら…【沼田和也】
弱音をはく練習〜悩みをため込まない生き方のすすめ
■安心できるのが性的な場だとしたら
わたしのところに、ときおり男性が訪れる。年の頃は50代も後半であろうか。堅い仕事をしており、妻と息子がいる。彼には秘かな愉しみがある。それは、風俗店に行ってアブノーマルな(本人いわく「教会で話すには憚られる」)プレイをすることである。
この男性は、ひきこもりの息子や病弱な妻を支えることに重圧を感じている。だから自分が壊れないよう、これといった症状が出ないうちに、自衛手段として精神科に通っている。経済的にも困窮している様子はない。自分が置かれた厳しい状況に対して、ひとりで抱え込まず、とても冷静に対処している。歓談する彼の落ち着いた態度を鑑みても、これ以上の支援は必要ないように見える。
しかし、彼は言うのだ。どんな医療や支援も、女性と肌を重ねることの、あの安心と取り替えることはできないと。彼は社会でいうところの変態プレイをしている。わたしは彼の話を聞きながら思った──この人が聴いてもらいたいのは言葉なんかじゃない。きれいに整えられ、穏便に言い換えられた言葉ではなく、コンドームを裏返すように自分を裏返し、おのれの粘膜や内臓や脂肪のすべてをさらけ出して、それらを受けとめ触ってもらいたいのだ。「これがほんとうのおれ、おれのナカミなんだよっ」家族にさえ見せたことのない、どろどろと温く湿ったものを誰かに見せつけて叫びたいのだ。
彼と接しながらぼんやり感じていたなにかを、『赤い原罪』を観て明確に摑むことができた。あの男が求めていたのはシスターのやさしい言葉ではなく、彼女の肌であった。聖職者たちのやさしい言葉は、もはや彼には届かない。彼は自らを神に呪われた者とみなしていたのだから。彼がほんのいっときであれ安心できるのは、自らの臓腑をそこに開き出すことのできる、性的な場だけであった。
教会に来る男性が、映画の彼のような自己呪詛をしていたわけではない。米兵に妻を寝取られたわけでもない。けれども彼にもまた、性的な場でしか癒やすことのできない渇きがある。それは性に関わるがゆえに公的な場所で語ることができず、また、癒やすこともできない。だから彼は孤立する。そんな孤立へと突き放された彼が求めているものもまた、あれやこれやのやさしい言葉ではないし、傾聴ですらなかった。彼が渇望するものもあの男同様、肉のぶつかりあいなのであり、他人と共に自分が生きていることを確認できる匂い/臭いや温もりそのものなのである。
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沼田和也著 最新刊 2023年6月13日発売
『弱音をはく練習 〜悩みをため込まない生き方のすすめ』
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目次
序章 弱音をはく練習
弱音をはく練習が足りていないあなたへ
第1章 自分で自分を追いつめないために
「もうこれ以上は無理です」
生きていく意味が分からなくなったとき
第2章 生きづらさの正体を知るために
ある日突然、学校に行けなくなった
ひきこもりだった当事者が語れること
生きづらさの原因は「心」?
第3章 嫉妬心で苦しまないために
コンプレックスを手放さないという選択
他人と比べて嫉妬に苛まれるとき
他人を羨み、悔しくて仕方がないとき
第4章 人間関係を結び直すために
人間関係に疲れきってしまったとき
ため息一つを共有してもらえたなら……
S N S 時代は「別れる」ことが容易でない
第5章 憎しみに支配されないために
怒りや憎しみを無理に手放さなくてもいい
対人トラブルを起こしてしまいがちな人の共通点
「我が子をどうしても愛せない」と慟哭する女性
D V 被害者が虐待を繰り返されないために
第6章 性的な悩みに苦しまないために
「不倫をする人」を断罪しても仕方がない理由
性的な悩みは公の場では語られない
「わたしは男/ 女です」と言いきれない人からの手紙
「よけいなお世話」によって救われてきた経験
第7章 理不尽な社会を生きるために
リストラ・ハラスメントに誰もが遭遇する時代
この苦しみは他人のせいか? 自分のせいか?
死にたくなるほどお金に困っているとき
第8章 孤独な自分を見捨てないために
なぜよりによってわたしが苦しむのか?
子どもの頃によく見た「死刑の夢」
無駄で面倒なことに、幸せは宿っている
「自分自身の物語」をつくり、その読者になる
第9章 他人と痛みを分かちあうために
「ずるい」という想いを認めることから
人は何歳からおじさんやおばさんになるのだろう?
不純な動機で善行をするのはだめ?
終章 弱音をはきながら生きる
他人を妬む気持ちはなくならない