最強のコロナ対策は、対策を緩めることだ!【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」39
◆最後に残る「慰めの報酬」
最強対策を支える三つの前提は、すべて正しくないのですよ!
順番に見てゆけば以下のとおり。
(1)コロナによる経済被害は、感染を抑え込もうとしても生じるが、感染が拡大しても生じる。社会経済活動に参加できない者が増えるせいである。
感染被害と経済被害の間には、たしかにトレードオフの関係もあります。けれども新刊『感染の令和』に収録した「予言された疫病の記録」で詳細に論じたように、それが両者の関係のすべてではありません。
このため感染対策を緩めさえすれば、経済被害を小さくできるという保証もない。
緩めたことで被害が小さくなる側面と、緩めたことでかえって被害が大きくなる側面が存在します。
そして後者が前者を上回れば、最強対策は事態を悪化させる結果に終わるのです。
(2)コロナの感染被害を、肺炎の重症化、さらには肺炎による死亡に集約することはできない。したがって重症化率が低いことは、用心しなくても構わないことを意味しない。
すでに見たとおり、コロナは肺疾患に限定された病気ではありません。
「新型コロナウイルス呼吸器症候群(Coronavirus Respiratory Syndrome 2019, COVIRS-19)」ではなく、「新型コロナウイルス感染症(Coronavirus Disease 2019, COVID-19)」と呼ばれるのは、関連して意味深長。
ついでに感染力が強い場合、重症者が増えるまでもなく医療逼迫が起きてしまう。
「オミクロンのもとで社会の基盤が揺らぐ構造」でも指摘しましたが、感染したり、濃厚接触者になったりしたせいで、多くの医療従事者が欠勤せざるをえなくなるためです。
沖縄では1月13日の段階で、1000人近くの医療従事者が活動できなくなり、コロナ専用病床を減らす事態に追い込まれました。
(3)感染被害と経済被害の間にトレードオフのみが成立しているのではない以上、感染拡大を抑え込もうとするのは、感染被害を小さくするためでもあるが、経済被害を小さくするためでもある。
このような不都合な真実を無視して、最強対策を実践するとどうなるか?
感染拡大対策を緩めるのですから、当然ながら第六波を抑え込むのは難しくなる。
経済被害も悪化するか、少なくとも期待されるほどには小さくなりません。
これに対抗する手段はひとつ。
さらに感染拡大対策を緩めるのです!
すると当然ながら、第六波を抑え込むのはいっそう難しくなる。
経済被害もますます悪化するか、いよいよもって期待されるほどには小さくなりません。
これに対抗する手段はひとつ。
さらに感染拡大対策を・・・
あとは感染の波が収束するまで、感染被害と経済被害の双方に耐えるのみ。
ただし救いがないわけではない。
前提がすべて間違っているという現実さえ否認すれば、感染被害と経済被害がともに大きくなったところで「最強の対策を実践してもそうなのだから、これ以上、被害の規模を小さくすることはできなかった。仕方のないことなんだ」と言い訳できる。
「やるだけのことはやった」という次第。
実際には「やらないだけのことはやらなかった」なのですが、そのことに気づくようであれば、最初からこんな対策は取らないでしょう。
最強対策には、失敗したあとも「慰めの報酬」が残るのです!
言い換えれば、主観的には最後まで失敗を認めずにすむ。
人間の知恵とは偉大なものではありませんか。
もっとも感染被害と経済被害を本当に小さくしたいのであれば、感染が拡大した際には対策を強めるほうがいいでしょう。
予防法と治療法が確立されるまでは、感染者が少ないに越したことはない。
この基本に立ち戻るのです。
偉大さにかけては最強対策に見劣りしますが、そこはそれ。
健康は大事ですし、経済だって回さなければなりませんからね!
文:佐藤健志
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