「専門って浅いんですよ」 発言がブーメランになった!「統計学の専門家」藤井聡京大大学院教授【篁五郎】
藤井教授への批判は統計学の専門家だけに留まらない。現役の医師からも「人出と感染が無関係」とか正気かという話。じゃあどうやって感染するのだ」と呆れた声が聞こえる。 それもそのはずで、イギリスの週刊一般医学雑誌「The Lancet Digital Health」では、携帯電話の位置データを使用し、人流と感染発生率が関連する研究をしていた。結果は、週の移動度が10%低下すると翌週の新型コロナ発生率が8.6%低下したという。データの母数はラテンアメリカの314都市のデータから導き出している。
面白いことに論文には他のデータも引用されており、アメリカの研究では9〜12日後に人流抑制の最も強い影響があらわれ、またイタリアの研究では9〜10日後に発生率が下がるという結果が出たそうだ。
つまり、藤井教授が断言した「時短しても効果があると言えない」というのは統計学的にも医学的にも間違いであると証明されてしまった。
実は藤井教授は昨年の夏も統計でやらかしをしている。デルタ株が猛威をふるった時に、コロナ感染に対する「自粛」の影響は統計学的に検出できないが「気温」の影響が支配的だという事を示した実証論文を発表している。この論文も統計学を使い、医師の査読を経たうえで発表された。しかし、藤井教授はここでも初歩的なミスをやらかしていた。
この論文で使ったのが「ステップワイズ法」という手法だったのだ。ステップワイズ法は、医療統計・疫学の専門家の間で「ステップワイズ法を使うのは、臨床を知らない統計屋がやること」「ステップワイズ法を用いたら即クビだ」と言われるほど最低最悪な手法だという。
その問題点は「結果を見ながら変数を選択する」という手法だという。本来使用する変数は、解析をする前にすべて決めておかなければならない。しかし結果をみてからだと、本来関係ないのにたまたまいい結果が出た変数を過剰に優遇してしまうリスクが出てしまう。それにたくさん変数があると、たまたま目的変数に影響するデータが出てきやすくなる。
つまり「結果を見てから入れる変数を決めたら意味ない」ということである。
ついでに言えば、ステップワイズ法を用いると最終モデルに到達するまでに、多くのP値が計算され、データを細かく見すぎることで再現性が大きな問題になることが医療統計の分野では知られているため用いてはいけないと言われているのだ。
そう、藤井教授は統計学で二度もやらかしをしてしまったことになる。統計学の専門家としてはあるまじき行為だといえるだろう。
そもそも藤井教授は、コロナは風邪なので自粛の必要はないと当初から訴えてきた。自粛派への反論として「今、「自粛派」になってしまっているのは、コロナに壊される「社交」を持たない人々」と断罪して批判をした。2020年12月、「WeRise」という団体のイベントに参加し、講演で「コロナがあったら、飲んでもいい」などと発言するほどコロナ軽視論者として言論活動を続けてきている。現在もコロナを5類にするように求めており、政府や地方自治体のまん延防止や緊急事態宣言は不要と訴えている。
しかも、自説の正しさを訴えるために死生観という言葉を持ち出し、「多くの国民に感染死をイメージさせたこの度のコロナ禍は、日本人に「死」の問題を改めて向き合う機会を半ば強制的に与えた。結果、多くの人々は慌てふためき、過剰とも言える反応に終始した」と言ってのけた。その結論は「人はいつか死ぬのだからコロナ如きで慌てるんじゃない」である。
コロナが藤井教授のいう「如き」で済むならその言葉も説得力が出てくるが、実際はどうだったのかはご存知の通り。オミクロン株による死者はデルタ株を超えた。そんな現実を直視せず、デルタ株で医療崩壊したときには、「コロナと無関係な医者達はカネにならないからという理由でコロナ緊急医療に真剣に取り組まず、いつまで経ってもコロナ対応病床は増えない」といい、「コロナでカネが稼げる医者(尾身氏や岡田氏等)は、コロナがヤバイということにしておけば仕事がずっとやってくるので、ひたすらコロナはヤバイということをメディア上であおり立て、その結果、コロナ禍が一向に収まらなくなってしまっている」と的外れな医療批判を展開した。
藤井教授に聞きたい。
「整形外科やあなたのお友達の精神科医和田秀樹と終末医療専門医の森田洋之、臨床経験ゼロの木村盛世に感染症の知識があって治療や診察ができると思っているのか?」