「ウクライナ危機」に形骸化した“平和主義”で対処しようとする護憲派リベラルの自爆行為【仲正昌樹】
ウクライナ危機をめぐる日本国内の世論は概ね、侵略を受けているウクライナ側に同情的で、侵略者であるロシア側に批判的だ。逆説的なことだが、アメリカのバイデン大統領が直接戦闘に介入する意図がないことを強調しているおかげで、普段は反米的な人も、ロシア非難に加わっている。しかし、護憲派リベラルの一部には、ヨーロッパ最大規模の原発に対するロシア側の攻撃に関して、「原発は戦争になれば狙われやすい施設だと言うことだ。友愛精神で戦争をなくすと共に原発は日本のみならず世界から無くさなければならない」、とツイートした鳩山由紀夫元首相に見られるように、ウクライナ側にも問題があることを示唆する人たちがいる。
原発を攻撃すれば、チェルノブイリや福島の原発事故のようなことが起こるかもしれないので危ないという話をしているのに、そもそも原発があること自体ががおかしいと言い出すのは、あまりにも場違いである。反原発が鳩山氏の信条だとしても、今言うことではない。しかも、ロシアの前身であるソ連は、自らの一部であったウクライナ共和国のチェルノブイリで、原発事故を起こして、ウクライナの人たちに現在にまで多大な被害を及ぼしている。ウクライナなどで、旧ソ連からの自治・独立を求める運動が激化する大きなきっかけになった。それを考えると、ロシアの無責任さが際立つが、鳩山氏はそうした歴史経緯を無視して(あるいは、忘れて)、まるで原発を運営しているウクライナ側にも問題があるような言い方をしているわけである。
同元首相は、開戦理由に関して、(事実かどうか充分検証されていない)「東ウクライナにおけるロシア住民の虐殺」に言及するなど、戦争をやっている両当事者に問題があるような言い方をしている。“中立”でなければ、友愛の精神に反するかのようだ。ごく普通に考えれば、ウクライナ側は具体的にロシア領を侵害したわけではなく、ロシアが一方的にウクライナの領土に軍事侵略し続けているわけだから、平和主義の立場からそれを非難するのに条件を付ける必要などないはずだが、鳩山氏は戦争について、喧嘩両成敗的な言い方をしてバランスを取らないといけない、と思っているのだろうか。