「天岩屋戸事件」までの天照大御神の行動
天照大御神が卑弥呼であると言える理由 第8回
日本神話の最高神とされる天照大御神。吉野ヶ里遺跡などのデータを科学的な方法で分析、整理すると「天照大御神=卑弥呼」説が浮かびあってくる――!?その根拠を徹底検証する第8回。
「岩戸に隠れる」は
「死」を暗示しているのか?
天照大御神が、須佐男之命(すさのおのみこと)の乱暴に怒って、天岩屋戸にこもったという神話は、太陽の神とされていた天照大御神(卑弥呼)の死の前後に、深い日食があったので、古代人にとっては、衝撃が大きく、それが、神話化したものであろうとする説がある。
『万葉集』に、人の死を、「岩戸に隠れる」と表現している歌がある。
ところで、『古事記』、『日本書紀』に記されている日本の神話を、ていねいに読むと、次のようなことに気がつく。
それは、「天岩屋戸事件」以前と、そのあとで、神話の中心人物、天照大御神の取り扱い方が、かなりはっきりと異なっているという事実である。
天岩屋戸の事件以前においては、天照大御神は、どんな場合でも、一人で行動している。須佐之男命との争いにおいても、忌服屋(いみはたや)で衣を織るときも、天岩屋戸にこもるときも、最高の主権的位置をしめる女神として、いわば一人で行動している。このことは、『古事記』でも、『日本書紀』でも変わりがない。
《天照大御神が卑弥呼であると言える理由 第9回へつづく》