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古都VS軍都 金沢の数奇な歴史をめぐる旅

「加賀百万石」だけじゃない!城下町に花開いた軍都の光芒

第九師団と日露戦争

 第九師団の戦場におけるいちばんの活躍といえば、日露戦争の旅順攻囲戦と奉天会戦だろう。明治37(1904)年5月に動員され、属した乃木第三軍のなかで最多の戦死者を出し、中・大隊長のみならず連隊長クラスまで失う激戦を経験した。
 なかでも、歩兵第六旅団が担った旅順要塞の盤龍山堡塁への第一回総攻撃は激しかった。機関銃の弾幕のなか突撃を繰り返して死傷者を増やしながら盤龍山と望台を一時的に占領した。現代人からすれば無謀に思える強引さだが、この戦いは凱旋後「盤龍山精神」と呼んで長く語り継がれたという。
 その後は大正10(1921)年のシベリア出兵、昭和7(1932)年の上海事変など主だった戦いに派遣された。昭和12(1937)年には支那事変の拡大とともに再び出動、南京攻略、徐州会戦、武漢攻略戦などに参加している。南京戦では第九師団隷下の福井県鯖江を駐屯地とする歩兵第三十六連隊が「南京一番乗り」を果たし、このことを記念して作られた歌「脇坂部隊の歌(岸中隊南京一番乗り)」は陸軍省推薦になった。
 昭和15年に3度目となる満州駐剳(ちゅうさつ)以降は金沢に戻らず、長く衛戍地だった金沢には代わりの常設師団として第五十二師団が置かれることになった。

そして城下町と旧軍施設の町並みが残った

大正11(1922)年築の旧師団長官舎を改装して利用する兼六園広坂休憩館

城址二ノ丸から移築されたとき、両翼を切り詰め半分にされた旧師団司令部庁舎

 その後太平洋戦争末期まで無傷で残っていた精鋭師団は切り札として沖縄へ送られた。第九師団を中心に沖縄を防衛する計画だったが、沖縄決戦を前に台湾に移されそこで終戦となり玉砕を免れた。
 日露戦争で激戦地に投入されて壊滅的な損害を受けたのとは対照的に、太平洋戦争では「武」兵団という勇ましい名で呼ばれながら一度も交戦することなく終戦を迎えた。
 金沢の町も同様に戦災を免れ、終戦後も旧軍施設は城下町の特色がよく残る古都の街並みとともにそのまま残った。
 師団関連の遺構は金沢城公園と兼六園、県立歴史博物館あたりに集まっている。また郊外の陸上自衛隊金沢駐屯地は、野戦砲兵(のち山砲兵)第九連隊の跡につくられた。駐屯地の資料館「尚古館」は明治31(1898)年に建てられた旧将校集会所を利用したもので、旧軍資料が展示されているのであわせて訪ねたい。
 なお金沢城址は平成7年まで45年もの間、金沢大学のキャンパスになっていたため、旧軍ゆかりの建築のほとんどが解体か移築された。
 菱櫓や橋爪門続櫓、五十間長屋など、金沢城を近世の姿に復元する動きが盛んで、城址内で旧軍の面影をしのぶことは難しくなってきている。歴史を大切にする金沢だけに、時代を多層的にしのべるよう、工夫してほしいものだ。

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飯田 則夫

いいだ のりお

昭和37(1962)年、茨城県生まれ。大学卒業後、システムエンジニア、編集プロダクション勤務などを経て、フリーランスライターとして独立。「予科練」など旧海軍航空隊が身近な環境で育ったことから、近代日本の足跡を知る歴史素材として、学生時代より旧軍史跡に興味を持ち、各地を探索してきた。

著書に『図説 日本の軍事遺跡』(ふくろうの本)、『TOKYO軍事遺跡』(交通新聞社)、『大日本帝国の戦争遺跡』(KKベストセラーズ)などがある。


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