「“マリーヌ・ルペン親子=極右”だと思っている日本人へ」【平坂純一】
〜Marine est-elle d'extrême droite ?〜
さて、ジャン=マリーさんは1950年代のパリで大学生になり、在学中はオランダ大洪水(1953年)のボランティアやインドシナ独立戦争(1954年)で軍人を志願します。反ド・ゴール主義的でかつ植民地戦争の夢を追い続ける青年の名は全フランスに轟いて、彼を史上最年少の国会議員に仕立て上げます。「卑怯な再占領者一派」や「モスクワに操られる共産主義者」よりも、「地方出身のフランスのエリートで軍人の有望な青年」に人々は投票したのです。もっとも、声の大きさと数の力により敗北しますが、ジャン=マリーの存在は戦後フランスの影の声だったのです。
話は少し飛躍しますが、よく「コアビタシオン」大統領と首相に左右の人物を据える戦後フランスの方式がもてはやされます。しかし、日本の55年体制の代替物だと思えば偉くもありません(自民党一党独裁の方が変ですが)。この呉越同舟の制度には、ジャン=マリーも呆れており、70年代には一時は政界を引退しています。しかし、80年代になって政界復帰します。ミッテラン大統領による過剰な移民政策により、フランス国内の景色が変わってきたからです。私もパリを少し離れた街を歩いたところで、マグレブ系の移民がジーンズで歩いているのしか見ませんでした。
ここからが難しいのですが、フランス人はサバケているので、お金持ちや地方の有力者の声だけを聞く「共和党」と、都会のブルーカラーやリベラル派の代弁者「社会党」には早くから見切りをつけます。フランス経済が停滞し、移民問題やアメリカの外圧があれば、すぐに国民を統合させるヒーローを欲します。1985年、「官僚主義的規制」を排除し、国家の企業を民営化する「真の自由主義革命」が必要だとして現れたのがジャン=マリー・ルペンその人です。中曽根首相と仲良しだったのも肯けますね。そこで彼は国民戦線(F N)を立ち上げ、10%ほどの支持率を得る政党に押し上げたのです。この新自由主義的アジェンダは、日本同様に不景気だった90年代に撤回して、「大きな政府」を打ち立てる選挙運動に転換します。
世の中を少しでも良くする「結果」を出さない既成政党や政治家どもに対する疑いは、日本の場合、20年遅れで小泉首相が政局化させました。しかし、「自民党をぶっ壊す!」と何故か自民党内で叫ぶあの狂った男の新自由主義的政策が、不況の日本国で有効な理由がありません。ですが、日本では小泉流は猛威を振るい、今でも「財政健全化」は金科玉条のようです。マクロンも既成政党とは別の少数政党から現れた大統領で、金持ちの機嫌をとるフランス共和党と変わりがなく、むしろユーロで形骸化した国内産業を埋める施策は生み出せずにいます。若さを活かしたパフォーマンスに終始しており、マリーヌよりも真の意味でポピュリストでしょう。「大阪の維新」が政権を取ったら、この劣化版の現象が起こるのでしょう。
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