日本史上初の痩せ姫⁉「鎌倉殿の13人」の大姫(南沙良)は「真田丸」茶々(竹内結子)の悲劇性を超えるか【宝泉薫】
その点に関して、それなりに期待してもよさそうな感もある。脚本を手がけるのが、三谷幸喜だからだ。コメディーの名手という印象もある人だが、じつはそれだけではない。彼にとって二度目の大河となった「真田丸」(2016年)では、豊臣秀吉の側室・茶々を見事なメンヘラ薄倖系ヒロインに仕立てた。
たとえば、主人公の真田信繫に対し、こんなことを言わせている。
「私の愛した人たちはみな、この世に未練を残して死にました。父上も母上も兄上も柴田の父も捨も。(略)私はどうなっても構いません、秀頼を死なせないで」
これにより、息子・秀頼の戦闘不参加に最後まで固執した理由を暗示するわけだ。では、彼女自身が死についてどう考えていたかというと、妹の初にこんな想像をさせている。
「あの人が死にたがっているように思えてならないのです。心のどこかでこの城が焼け落ちるのを待っているように。私たちの父も母も城とともに命を絶ちました。姉も自分も同じ定めであるとなかば信じております」
ここも巧い。茶々は幼児期に小谷城の炎上で父と兄を失い、少女期に北ノ庄城の炎上で母と新しい父を失った。自身は助けられて生き延びたものの、この二度の苛酷な経験がトラウマにならないはずがない。そこから死について、それを恐れつつもどこか待ちわびてもいるようなねじれた感覚を持つようになっていくことも十分あり得るだろう。やがて、茶々もまた、大坂城の炎上によって最愛の息子とともに亡くなるのである。
この茶々を演じたのが、竹内結子だった。当時もその芝居が高く評価されたが、この4年後、彼女自身が自殺したために、今、ドラマを見返すと、いっそう胸に迫るものがある。三谷も演じるのが竹内だったからこそ、これほどまでに魅力的な茶々を造型できたのではないか。
そういう脚本家だけに、今回の大姫についても期待してしまうのだ。
実際、すでに登場している大姫もなかなか魅力的だ。幼少期は、8歳の子役・落井実結子が演じ、見事な芝居を見せた。義高の助命嘆願をするため、頼朝の前で短刀を取り出し、
「冠者殿がいなくなったら、私も死にます」
と叫んで、自らの喉元に短刀を突き付ける。そこから目をうるませ、父を一心に見つめたのである。これにより、頼朝は義高の命を助けることを約束するが、時すでに遅し、もう討たれてしまっていたという展開だ。
愛のために自分の命まで投げ出すような烈しさは、それが報われなかったとき、憎悪や悲哀、絶望を生む。実際、その後の大姫は一見、この出来事を乗り越えたかのような無邪気さとともに、義高との思い出のものを見ただけで硬直する危うさや、妙なおまじないにハマる妖しさといった多面性を持つ少女として登場するわけだ。
この9歳からの大姫を演じているのが、南沙良。新垣結衣が去年まで所属していた事務所の後輩で、ポストガッキーとも呼ばれる19歳の注目株だ。
このキャスティングも悪くない。南は芝居もそこそこでき、昨年「六畳間のピアノマン」(NHK総合)で演じた、闇落ちする地下アイドル女子高生の役は印象的だった。
そこに三谷は、どんな工夫を施すだろう。第21話では、義理の叔母にあたる八重が水難に遭った際、助けようと尽力する政子たちに対し、
「無駄よ。助かるわけないわ。きっともう亡くなっている」
と無神経に言い放つという、これまた壊れかけている少女の本質が見えるような創作が加えられていた。
ただ、できれば痩せ姫的な要素も欲しい。ちなみに昨年「ドラゴン桜」(TBS系)で南とともに生徒役を演じた志田彩良は、父から虐待されている設定にリアリティーを与えるために6キロ痩せる役作りをした。南にも何か彼女なりの役作りで、大姫の儚さを体現してもらえればと思う。
ところで、2005年の大河「義経」では大姫の幼少期だけが描かれた。小3で演じた野口真緒は「とても切なくて可哀想な役」だったとして「当時『無邪気な演技や泣く演技とかいろんな演技をして楽しい。女優さんていいな』と改めて感じた作品でもあります」と振り返っている。
つまりは演じる者にとっても、それくらい稀有な魅力を持つヒロインなのだ。歴史的に見ても、その悲劇性は有数のもの。その描き方が成功すれば「真田丸」の茶々に匹敵するほどの感動がもたらされることは間違いない。
文:宝泉薫(作家・芸能評論家)
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