日本人の知らないもうひとつの東京の歴史
帝国軍人の気概を伝える美しい東京湾要塞
神秘的な砲台群
東京湾要塞の数ある砲台のなかで、もっとも規模が大きいのが東京湾に大きく突き出る観音崎の砲台群だ。要塞の中核でもあり、鬱蒼とした自然林のなかに、いくつもの砲台が点在している。灯台への途中にあるのは北門第一砲台。想像以上に大きく、まるで古代文明が遺した祭壇といっても通るほど荘厳で、神秘的だ。
この砲台は明治9年に用地買収が始まり。竣工は明治17年。日清・日露戦争では、臨戦態勢に入り帝都防衛の一翼を担った。
だが、大正時代に入ると、技術の進歩から存在理由を失う。完成から終戦までの61年間のうち、大砲が置かれたのは20年間だけだったが、役割は十分にまっとうしたと言っていいだろう。
山を下りた『観音崎青少年の村』には、火薬庫だったレンガ造りの優美な建築が3棟ある。観音崎砲台は、旧軍が近代的な砲台として初めて築造した記念碑ともいえるモニュメントであり、重厚で優美な要塞建築の佇まいからは、国づくりにかけた明治人の気概が感じられる。
要塞地帯として終戦まで一般人の立ち入りを拒んできた砲台の跡は、戦後、観音崎をはじめ猿島や富津など多くが公園となった。砲座や砲床を展望台や花壇に、軍道を園路にするなど要塞施設が積極的に利用されている。
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