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「死にたくない」ではなく「死んでもOK」という心地

ささやかな幸福をじっくり噛み締めて味わう

 問題は、それではいざ老いを重ねて死に臨まねばならなくなったとき、このような人生を送った者が〈死〉を受け入れられるのか、ということです。いざ身体が病魔に蝕まれてきたときも、いままでどおり心が、不満足にイライラしつつ「あれが欲しい」「もっとこうして欲しい」と求め続けているならば。

 それらの欲求は、「まだまだあれもしたい、これもしたい」「そのためにはいつまでも生きていなきゃいけない」と叫びますので、つまりは〈死〉は怖い、絶対嫌だ、という刷りこみを心に与えているようなもの、と申せましょう。

 ひたすら欲求の追求ばかりが推奨されるいまの世の中では、筆者の見るところ「老いてなお盛んでなくてはならない」という脅迫観念が共有されているように思われます。ですから五十代の(昔なら)おばあさんが、美魔女などと言われて恋愛する姿が肯定的に語られたり、老いた男性は精力の衰えを非常に恥じて「男のプライドを取り戻して奥様を喜ばせましょう」などとうたわれている、怪しげな強壮剤を買ったりもしてしまうのです。

 これらは現象面では一見多様に見えても、結局すべて「老いたくない」「死にたくない」「満足したくない」という、叫び声なのではないでしょうか。その叫びを心に刷りこめば刷りこむほど、実際に自らの死に直面するとき、「死にたくない、悲しい、つらい……」という苦しみに見舞われます。

 かくして、欲望漬けにされた人生は前半戦がどんなに愉快でも、終盤は必然的に惨めであわれなものになることが、約束されていると申しましょう。いざ死が近づいてきたとき、「もう充分だ。だって人生で何度も充足感をじっくり味わってきたのだから。やり残したことは何もない」と微笑めることこそ、人生ゲームのハッピーエンドなのですけれども。

 ハッピーエンドを迎えて未練を残さず旅立てるための秘訣は、ささやかな幸福をじっくり噛みしめて、その中に留まったときの「もう満足だ」「いま死んでもかまわない」を、よく味わっておくことかもしれません。

               〈『いま、死んでもいいように』より抜粋〉

 

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小池 龍之介

こいけ りゅうのすけ

僧名は、龍照。1978年生まれ。山口県出身。東京大学教養学部卒業。月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、正現寺(山口県山口市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導もおこなう。執筆活動でも多くの著作を持つ。

ホームページ http://iede.cc/


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