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地図から消された軍事島を行く

いまでも生々しく残る毒ガス工場の痕跡

いまでも残る生々しい痕跡

陸軍の技官が毒ガス研究に携わった研究室

砲台の遺構は毒ガスの原料や製品の置き場に転用された

 東京の科学研究所で研究開発が行われて大久野島で量産、船で福岡県北九州市にあった東京第二陸軍造兵廠曽根製造所へ運ばれガスが充填された。ちなみに、曽根の工場があった場所は現在、陸上自衛隊小倉駐屯地曽根訓練場となっており、毒ガス施設の遺構も一部に残されている。
 大久野島に話を戻すと、対岸の内陸部には芸予要塞司令部が建てられていたが、やがて毒ガス兵器の輸送拠点に転用されることとなった。昭和17年頃からは島内が手狭になったため、工場自体も島外に拡張された。運用や訓練は千葉県習志野で行われ、中国大陸で壕に潜む敵の掃討などに使われた。
 戦後、占領軍によって全国各地の毒ガスが大久野島に集められ、不要になった上陸用舟艇に積んで海没させたり、焼却・埋没処理がなされた。朝鮮動乱が勃発した際には、島はアメリカ軍の弾薬基地や弾薬解体処理場となった。
 現在は国民休暇村として開発され保養地となったが、砲台跡、発電場、貯蔵庫など当時を偲ばせるものが点在している。また資料館では防毒マスクや焼き物の冷却器など、生々しい実物資料が往時の実状を訴えてくる。
 関係者の多くが長い間後遺症に苦しんだ事実、旧軍が遺棄した毒ガスの処理が今なお旧満州(中国東北地方)などで進行形であることを深く心に刻んでおきたい。

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飯田 則夫

いいだ のりお

昭和37(1962)年、茨城県生まれ。大学卒業後、システムエンジニア、編集プロダクション勤務などを経て、フリーランスライターとして独立。「予科練」など旧海軍航空隊が身近な環境で育ったことから、近代日本の足跡を知る歴史素材として、学生時代より旧軍史跡に興味を持ち、各地を探索してきた。

著書に『図説 日本の軍事遺跡』(ふくろうの本)、『TOKYO軍事遺跡』(交通新聞社)、『大日本帝国の戦争遺跡』(KKベストセラーズ)などがある。


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