ウクライナ戦争と近衛文麿の洞察【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」44
◆近衛文麿の平和主義批判
ただしウクライナ戦争について、現実を直視するのは決して容易なことではない。
この戦争、単純な解釈をみごとに許さないのです。
〈平和に暮らしていたウクライナに、悪いロシアがいきなり攻め込んできた〉という解釈が成り立たないのは、「ウクライナ侵攻、ロシアはどこまで〈悪〉なのか」で見たとおり。
〈勢力の東方拡大をめざす米欧が、ウクライナを使ってロシアを追い詰めたせいで侵攻が起きた〉という解釈も疑わしいのは、「ウクライナ侵攻、米欧は果たして黒幕か」で見たとおり。
そして〈帝国主義、ないし覇権主義に走るロシアにたいして、ウクライナがナショナリズムで抵抗している〉という解釈すら怪しいのは、「ウクライナ侵攻とナショナリズムのねじれ」で見たとおり。
すなわち「どのような視点を持てば、ウクライナ戦争を直視したことになるのか」という点自体がハッキリしない。
国や社会は、広く共有された現実認識、つまり「コンセンサス・リアリティ」を基盤としてまとまるのですが、ウクライナ戦争に関しては、事態の直視を可能にするようなコンセンサス・リアリティがないのです。
だから「ウクライナの人たちがかわいそう」「とにかく戦争はよくない」といった情緒的な反応が、もっぱら目立つことになる。
「ロシアばかり非難しても問題は解決しない」にしたところで、これの裏返し、ないし逆張りにすぎず、情緒的な反応の域を出るものではありません。
弱者への安易な同情は、喧嘩両成敗の安易な正当化を引き起こすというだけの話です。
コンセンサス・リアリティの重要性については、『感染の令和 またはあらかじめ失われた日本へ』でじっくり論じたので、詳細はそちらをご覧いただきたいのですが、ならばわれわれは、どのような視点を持つべきか。
ここで紹介したいのが、戦前の政治家・近衛文麿が1918年末に発表した論文「英米本位の平和主義を排す」。
のちに総理となる近衛も、まだ二十代後半、公爵として貴族院議員になったばかりでした。
「英米本位の平和主義を排す」は、同年11月11日、第一次大戦をめぐる休戦協定が成立、戦闘が終結したのを受けて書かれたもの。
この戦争ではドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリーの三帝国が崩壊したため、戦後の世界の主導権はイギリスとアメリカが握ります。
勝ち組の一員だった日本も、両国に次ぐ存在として、フランス・イタリアともども「五大国」と呼ばれるにいたるのですが、英米と残り三ヶ国との力の差は歴然としていました。
で、英米が持ち出した理念が「平和主義」と「国際協調」。
平和と協調なら大いに結構じゃないかって?
近衛公、そうは思わなかったのですよ。
二つの理念は、とどのつまり「自己に都合よき現状」(=英米による覇権支配)を正当化し、維持しようとするための口実であり、それを「人道」の美名で飾り立てただけではないか、と。
だから「英米本位の平和主義を排す」というわけですが、話はこう続きます。
【現状維持を便利(注:都合がいい)とする国は平和を叫び、現状破壊を便利とする国は戦争を唱ふ。平和主義なるゆえに必ずしも正義人道に叶(かな)うにあらず、軍国主義なるがゆえに必ずしも正義人道に反するにあらず。要はただ、その現状なるものの如何(いかん)にあり。】(佐藤誠三郎『「死の跳躍」を越えて 西洋の衝撃と日本』、都市出版、1992年、267ページ。読みやすさを考慮し、表記を一部変更のうえ読点を追加。以下同じ)
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