「なぜ学級崩壊は止まらないのか?」今でも信じられないある出来事とは【西岡正樹】
「学校の当たり前」を取り戻すために・・・身体を通して伝えること
■「お母さんは僕が話していてもいつも別のことをして、僕を見ていない・・・」
さらに、担任をしていた子どもの話から次のようなことがわかった。
「先生、うちのお母さん、僕が話していてもこっちを見ないで、いつも何かしながら聞くんです。だから僕が話しても、適当に『うん、うん』っていうだけ。話を聞かないのはお母さんも同じです」
「話を聞くとはどういうことか」ということをみんなで話をしている時に、子どもが話してくれた。子どもにとって、とても切実な話だ。
さらに、私の友人から聞いた話だが、それを聞いた時には私も「ここまで来たか」という思いだった。それは、会社では全ての連絡がメールで行われ、隣に座っている者同士でさえ、メールで会話しているというのだ。
「隣なんだから一言声をかければ済むことだろう」
そう言うと、本人たちにしてみれば「どうして直接話す必要があるんですか」などと言うのだ。
そのくせ「メールをちゃんとチェックしろよ」という電話は入れるというのだから呆れる。
これらの状況を見てわかるように、様々な言語活動において、「大人が子どもの見本になっていない」という現状が見えてきた。
子どもたちは多くの体験を通して、また多くの情報を集めるなどして、様々な力を身に付けていくのだが、その多くは、目の前にいる大人(愛着関係にある人や尊敬できる人)のやっていることを真似しながら身に付けていく。
「自分の思いや考えを伝える」ということも例外ではない。家庭生活や社会生活において、大人たちが日常的に自分の思いや考えを、自らの身体を通して伝え合っていれば、子どもたちはその姿を通して大きな影響を受けるはずである。
しかし、大人たちが、それぞれの思いや考えを伝え合っていない現状では、子どもたちの見本になる存在がいないということだ。
学校では「教師は子どもの見本」でなければならない。それが「学校の当たり前」だからだ。「学校の当たり前」を取り戻すための課題はたくさんある。
巷では、今の子どもたちの様子を見て、「学校教育がなってない云々」とばかり言われるが、子どもたちが最も影響を受けているのは、学校だけではなく身近にいる大人であり、親である。それを忘れてはいけないのではないだろうか。
「子どもは大人の鏡であり、文化の継承者である」。
文:西岡正樹