【追悼 イビチャ・オシム】 日本を愛し愛された元日本代表監督が遺した言葉
5月1日に急逝したイビチャ・オシム氏。世界中のサッカー関係者が悲しみに包まれ、哀悼の意を表した。なぜ、世界中の人々に愛されたのか、それはオシム氏の言葉には、厳しさの中に愛が溢れていたからではないだろうか。小社刊行のオシム氏の書籍『急いてはいけない』から、我々日本人に向けた愛のある言葉の数々を紹介する。
■日本人の特質について
〝良かれ悪しかれ日本人はつねにプレッシャーを受けている。
それがうまく働けば、成功に至ることができる。さらに良いものが得られるわけで、日本人の特に優れた資質だと私は思っている。
前に進ませる力だ。
日本人は、日本は、すべてが可能だ。今、知るべきであるのは、そのための努力をどうやって導いていくかだ。〟
■ノーマルであり続けるべきだ
あなた方日本人はすでに大きく進歩した。難しいのはあなた方が、自分たちのことにこだわりすぎて、少し内向的になっていることだ。内にこもるから、すべての資質を生かし切っていない。もう少し自分に自信を持つべきだ。すでに進歩しているではないか。ノーマル(普通であること。正常であること)であり続けるべきだ。かつてあなた方がつねにそうであったように。
あまり過度の爆発(爆発的な進歩や変化)を期待するべきではない。多くのことを学んで、爆発ですらノーマルなものとして実現する。
そこを勘違いするから、ボスニア・ヘルツェゴビナには問題が起こる。ひとたび勝つと、自分たちは世界最高だと思いこみ、負けると世界で最悪だと落ち込む。われわれボスニア人は簡単に興奮する。「興奮する」というのはとても適切な表現だ。自信過多、つまり尊大にもなる。何かに成功すると、とたんに調子に乗るわけだ。もっと冷静でいるべきだし、ノーマルであり続けるべきだ。
私が思うに日本人は省察的で、足をしっかりと地面につけている。だからこそ即座に爆発できるし、他の人々が成し遂げなかった多くのことを達成した。日常生活の中には、ノーマルに行われねばならないことがたくさんあるからだ。日本人にはそれが容易にできる。だから長生きもするのだろう。自らを越えて過剰になることがないからだ。しかしときには、すべてのエネルギーを燃やしながらものごとに対処することも必要だ。普段とは違ったやり方が容易にできるし、だからこそ望ましい生活を送ることができる。
良かれ悪しかれ日本人はつねにプレッシャーを受けている。それがうまく働けば、成功に至ることができる。プレッシャーを推進力に転化できるのは、日本人の優れた資質だと私は思っている。前に進ませる力だ。
他方でうまくいかないときには、あなた方と言えども失望は大きい。
ただ、そこからの回復の早さも、あなた方は歴史的に証明した。例えば日本は第二次世界大戦の敗戦から、急速な復興を遂げた。世界の誰もが驚くような速度で。そして経済、政治などあらゆるレベルで世界のトップに躍り出た。同じことを実現したのは他にはドイツだけだ。あなた方は自分たちをもっと誇りに思っていい。
しかし今日、あなた方は少し急かされている。
それもまた理解できる。日本のような国では、日常生活でもつねにプレッシャーがかかっており、すでにそれが強迫観念になっている。人々がノーマルに生きにくい。学校に行っても─これは聞いた話だが─子どもたちは数年間で2000字以上の漢字を覚えねばならないという。ものすごいことだ。
彼らがアインシュタインであってもちょっと多すぎる。それが子どもたちを圧迫している。だからこそ少し冷静になるべきだ。
■「勝ち点1」を取りにいく価値を知る
また過去を忘れるべきではない。世界を揺るがしている問題のすべては、過去の出来事が原因となっているからだ。
世界でいえばふたつの世界大戦があり、復讐が蔓延(はびこ)っている。しかしどんなにひどくとも、その状況とともに生きねばならない。そして状況にとらわれすぎて、もっとも大事なことを忘れている。それは生活のスタンダードであったりする。
食事をしている背後で、どうして原子爆弾が爆発するのか。その過去を認める。もちろんいいことではないし容認もできないが、忘れてはならないことだ。残念ながら、そうした出来事なしに世界は成り立っていないからだ。
私たちの国(ボスニア・ヘルツェゴビナ)も同じだ。何かが空気の中を漂っている。内戦が終結し、どうにか平和が回復されたが、報復主義が強く支配している。サッカーに例えれば、ここまでずっと負け続けた。今回、はじめて引き分けることができた。つまり状況が少しだけ改善され、社会も多少なりとも安定した。この引き分けこそ、ずっと守り続けていくべきだ。
自分のチームが酷いチームで、リーグでつねに最下位を争っている。そんなチームがトップのチームと対戦して、0対0の状況が続いている。君らは勝ち点1を得るために、この結果を最後まで守り続けようとする。勝ち点1にはそれだけの価値がある。全身全霊を捧げて、勝ち点3ではなく勝ち点1を取りにいく価値が。それこそが今のボスニアであり、世界の状況だ。どこでもそうだ。
誰もが自分にできることを人々に誇示したがっている。それが強さであることも、また弱さであることもある。
そして弱さの方が、強さよりも一般的だ。この世界に存在するのは、強者より弱者の方がずっと多い。
サッカーの試合でまずいプレーをしてしまったら、それを罰するのは選手自身ではなくサポーターだ。それこそが罰で、つねに自分自身のことばかりでなく他人のことも少しは考えるべきだ。
日本は多くのことを成し遂げた。世界のどこよりも多くのことを実現してきた。自分自身に例を示しながら。過去においてあなた方が生きてきたことが、あなた方がとても安定していることを示している。人々はあなた方のような安定した生活に辿り着くことができる。精神的にも安定した状態を得られる。それには神経を落ち着かせることが必要なのだろう。最後にゴールに到達するまで。
それはサッカーでも科学でも何でも同じだ。
日本はどんな穴も埋めることができた。今後、日本がどんなことを成し遂げていくのか誰にもわからない。あなた方は自分に誇りを持っている。自分たちの歴史と存在を誇りに思っている。すべてが可能だ。今、知るべきなのは、そのための努力をどうやって成し遂げていくかだ。
- 1
- 2