「率直な発言をすることで起こる、“炎上”をリスクだと感じることはありませんか?」古市憲寿さんに聞く!(9)
僕でなければ意味の生まれない仕事がしたい
「本格派」という存在
今はインターネットを通じて、誰もが発信者になれる時代です。言ってしまえば、いつでも誰にでも炎上する可能性がありますよね。
だから、炎上を恐れてたら何も言えなくなっちゃう。そうなってしまうのは違うなって思うんですよ。
先日、テレビでサッカーについて「全然得点が入らなくてボールが遠くで動いているだけだから、メリハリがなくて見ていてつまらない」とコメントしたら、ちょっと炎上気味に取り上げられたんです。
これに関しても、別に言わなきゃよかったとは思っていないというか……そもそも僕の思ったことを聞かれているんだから、それを言えない「空気」のほうがおかしい。確かにサッカーは国民的な人気スポーツですけど、サッカーをつまらないと感じている国民だって、最低でも何百万人ってレベルでいると思います。それなのに、「ワールドカップにサッカー日本代表を、全国民で盛り上げていこう」っていう空気だけになっちゃうのは、すごく気持ち悪くないですか。
とはいえ僕も、あえて「当たり前とされていることに突っ込もう」とか、「常識を疑おう」といったことを意識しているわけじゃないんです。多数派と同じ意見になること自体に抵抗はないんです。ただ、考えもなしに多数派に同調しないように、とは心がけています。
論者でも歌手でも、さまざまなプレイヤーに共通して言えることだと思うのですが……ある程度世の中に受け入れられると、みんな「本格派」だったり「本物」になりたがる傾向があると思います。
最初は攻めた物言い、攻めた表現で脚光を浴びた人たちが、段々と世間の目を気にするようになって、おとなしくなってしまうことって結構ありますよね。本格派は上品に見えるし万人にも受けがいいと思いますが、なんとなくつまらなくなってしまう。なぜなら、本格派というのは「すでにある良いものをそのまま受け継いでいく」要素が強いから。今まで「本物」と言われてきたものを踏襲するから、「本格派」は成り立つんです。
僕には、過去を踏襲しようという気持ちはありません。本物感を求められるような仕事を、わざわざ僕が引き受ける必要はないかな、とも感じています。僕でないとできない仕事、僕でないと意味が生まれないこと……それらを突き詰めていきたいからこそ、今のところは炎上に気をとられたくないし、本格派にもなりたくないんだと思います。