統一教会問題で「政教分離」という言葉が独り歩きしている危険な兆候【仲正昌樹】
「政教分離」という言葉を、理解しないままやたらと使いたがるお子様な人たち
■統一教会ネタに群がるアンチ・カルト依存症の輩
私がまだ「マインド・コントロール」状態にあると言っている連中は、私が統一教会のことを最大限にあしざまに罵ろうとせず、できるだけ見たままを語ろうとするのが気に入らないので、私がマインド・コントロールされていることにして、証言能力を否定しようとしている。そういう連中の中で特にしつこく悪質だったのは、自称ITジャーナリスト、自称囲碁漫画家、自称IQの高い発達障害者の三匹だ。
自称ITジャーナリストは、私が統一教会についてあまり悪く言わないことを、カルト研究用語で、「感情面でのマインド・コントロールが抜けていない状態と言う」と評していた。便利な言い方だ。統一教会がいやなことばかりの団体なら、信者になる人などそもそもいるはずがない。少なくとも心理的に多少のプラスの面があるから、何十年も信者になっている人もいるのだ。そこを私が客観的に語ろうとすると、「感情面でのマインド・コントロールが解けていない」とわめきたてる。恐らく、統一教会は地上の地獄だと言わない限り、私は「マインド・コントロール」から解放されたことにならないのだろう。こういう、他人を落としめることでネット世論を誘導する手口は、「マインド・コントロール」的やり口ではないのだろうか。
自称漫画家は、自分の妹が統一教会に入信していたことがあって、私がテレビでしゃべっているのを聞いて、その時の妹のしゃべり方を思い出して気持ち悪かった、と言っている。この妹が実在するにしても、こいつの空想の産物にしても、自分が何を言っているのか分かっているのだろうか、そんなことを言う自分が気持ち悪いと思わないのか、と言うしかない。
自称発達障害者は、「統一教会に入信した者のほとんどは大学中退に追い込まれているのに、仲正はちゃんと卒業させてもらっている、つまりエリートだった。だから統一教会に懐かしさを抱いており、いつか戻る危険がある」、などと、無根拠な前提に基づいて、勝手な妄想話を展開している。ほとんどが中退に追い込まれている、などという話をどこから仕入れてきたのか。統一教会ネタに群がるアンチ・カルト依存症の輩には、こういう出所の分からないネタを不動の事実であると思い込み、それを認めないと、「洗脳されている(洗脳が解けていない)!」と叫ぶのが多い。話にならない。
自分たちの思い込みは一切疑わず、気に入らないことを言う他人を、「マインド・コントロール」というマジック・ワードで抹殺しようとする輩によって、実質的に“反社”認定が行われるようになったとしたら、それこそ、ミルやアーレントが恐れたような社会になってしまう。
統一教会が従来やっていた活動の一部を違法化する立法措置を検討するのはいい。それで、旧統一教会が事実上の解散に追い込まれたとしても仕方ないだろう。しかし、繰り返し言うが、そのためには、宗教団体としての資格をはく奪するにたる客観的基準を決めねばならない。「マインド・コントロール」や「洗脳」という言葉が大好きな、アンチ・カルト依存症のお子様たちや、その機嫌を取る人たちが主導権を取れば、まとまる話もまとまらないか、極めて、おぞましいことになるか、どっちかだ。
文:仲正昌樹