アウトとセーフの基準はなんだ? テレビの笑いの差別的表現3つの疑問【松野大介】
お笑い芸人インタレスティングたけし(42)が、先月6日のTBS「水曜日のダウンタウン」に出演、先輩芸人のチャンス大城に説教されたシーンが放送され、しどろもどろになったしゃべり方が「何か何か僕何か悪い悪い事したみたい」とテロップに出て、一部で「吃音(きつおん)ではないか」という指摘が。
これを受けて、日本吃音協会が8月1日にTBSに抗議文を送ったことを発表。
「件の放送内容は、吃音者に対する差別と偏見を助長するものであり、再発防止と番組制作の基準・指針の見直しを要求しました」とツイート。
それを受けて松本人志が反論し、ネットでも話題に。
元芸人でテレビ評論なども手掛ける作家の松野大介氏が、加速するテレビの笑いの規制やコンプライアンスにユニークな解決策を投じる!
先週7(日)の「ワイドナショー」(フジテレビ系)にて、松本人志さんが「彼の吃音の部分を笑ったわけではない。彼が今後、テレビに出にくくなってしまう」などと発言しました。
彼とはインタレスティングたけしことです。
日本吃音協会や、放送上の問題を扱うBPO(番組倫理・放送向上機構)に対し、松本さんは「日本のお笑いを勉強してほしい。悪意を持ってやっているわけではない」とのコメントも。
本来は、事務所など周りのことも考慮してすぐに謝ってしまうか、波風がおさまるまで黙る芸人が主流なので、松本さんの発言は踏み込んだものではあります。
上のネットニュースのコメント欄には様々な声があるが、抗議する側への厳しい声も見受けられた。
「これはすごく難しい問題ですよね。障害があってもそれを隠さず人前に出てそれを武器に生きていける人もいれば、逆にそれを知られたくない人もいる。」
「「差別を助長すべきではない」と、まともな感覚を持っている人間は考えます。なので、この手の協会や団体の抗議が必ずしも見当違いであるとは言い切れない。とはいえ、お笑い芸人である彼がこの様な庇い方をされてしまうと、お笑い芸人としてテレビに出にくくなってしまうことは容易く想像できるかと。」
「ほとんどの人間が差別的だとは微塵も感じていないものを差別的だと抗議する事によって(注目を集める事で)逆に新たな差別を生むという事がわかっていない。その結果ひとりの芸人がテレビに出にくくなってしまっては本末転倒です。」
■テレビ表現の基準を決めないのか
今回の件から離れますが、私は、差別的表現やコンプライアンスにおいて、放送できる(セーフ)できない(アウト)の基準を決めるようにしたほうが良いと思います。
厳密にルール化するのは無理ですが、「セーフ」「アウト」の基準が曖昧なままだと、放送後に「これはダメ」と一方的に判断される。これはテレビマンと芸人にとって困るし、フェアではないと思います。
その笑いはセーフなのかアウトなのか、曖昧なゆえにその基準を示したほうがいいと思うことを3つ提議します。
(1)笑いだとアウトの風潮なのはなぜか
昨年9月、同じく松本人志さんが「ワイドナショー」にて、放送倫理・番組向上機構(BPO)での「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」が審議入りするとしたことについてコメント。
「なんでバラエティーだけ言われるのかなというのはある。それを言い出したらプロレスなんてアウトじゃん。プロレス中継は絶対ダメよねって、なってくるし」(一部のみ抜粋)
私ごときの見識で申し訳ないが、少し違います。
プロレスは笑いではないから痛みが伴っても倫理に違反する番組対象にはされないのです。
ミゼットプロレスというものが昔にありました。もしミゼットレスラーが小さい身体で懸命に闘う姿のみを見せたら感動の映像として称えられ、批判の対象にはなりにくい。
感動の姿ではなくて、例えば、小さいことを利用して、相手の大きいレスラーの股下に滑り込んで背後に回り、ちょうど顔の高さにある相手の尻に頭突きして、会場から笑いが起きたら、どうでしょう。 私が思うに、アウトになるのではないか。
ここで言いたいのは、「小さい身体を笑いのネタにする」=「小さい人を笑い者にする」ではないこと。
その区別がつかないで判断するのはいけないし、区別がつかない人は笑いの民度がそうとう低いので勉強が必要です。
過去にミゼットプロレスを見て不快になった方もいたでしょう。だが、試合を見て笑い、障害を持つ人やそうでない人たちにどれどけ救われた人がいたことか。
これはバラエティーの痛みを伴う笑い(ちゃんと笑いとして成立し、明らかに差別じゃないもの)も同じです。人を救うエンタテインメントはいい音楽や泣ける映画だけではないのです。
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