国際政治学者は「ロシア vs 欧米の代理戦争」となぜ見做さないのか【中田考】
ロシアのウクライナ侵攻 その認識における「地域研究」の問題性【中田考:集中連載第4回<最終回>】
【22.地域研究と国際政治学と】
国際政治学(英米流地政学)は直接的な政策科学であり、研究者も戦争を含む国家間のパワーゲーム、ヘゲモニー闘争における情報戦の当事者であり、中立でないことは当然の前提です。一方、地域研究は学際研究であり直接戦争を扱うことはまれで、情報戦の当事者であるとの意識が研究者自身に薄いだけでなく、外部からもそのようにはみなされません。特に研究対象国が、紛争において欧米陣営に属している場合、自分たちの見方は国際社会の合法性を代表しているかのように表象され、紛争の当事者のポジショントークであるとのその党派性は隠蔽されがちです。
更にロシアのウクライナ侵攻において、日本はアメリカが主導するNATOなどの対ロ経済制裁に加わり、はっきりと戦争の一方の当事者の立場に立っています。それは第二次世界大戦の敗戦処理において包括的な講和条約を結ばずソ連との和平条約を棚上げして、NATOのような軍事同盟に加入せずアメリカの核の傘に入る日米安全保障条約を基軸とする安全保障体制を構築した日本としては当然の政策決定であり、それ自体は学問的に非難されるものではありません。
しかしそれがロシアのウクライナ侵攻が国際法に反する不法な行動であり、対ロ制裁が国際社会が認めた正義である、との認知の歪みまでを引き起こすとすれば、それは学問的な分析を誤らせる危険を生みます。
【23.ウクライナ地域研究の問題性】
ロシアのウクライナ侵攻における地域研究の問題は、『スプートニク・ジャパン』のような戦争の一方の当事国ロシアの情報戦の道具に対するのと同じ警戒が、他方の当事国ウクライナの情報戦の道具であるウクライナの国営メディア『ウクルインフォルム・ジャパン』の記事に対してなされていないことです。
またウクライナ研究者でウクライナ研究会会長の岡部芳彦の『本当のウクライナ 訪問35回以上、指導者たちと直接会って分かったこと』も内容は面談した政治家たちの業績のみを書き連ね、褒め称えることに終始した、批評性のかけらもない「提灯記事」の寄せ集めでしかありません。平時であったならば知られざる国ウクライナの魅力を伝え友好促進を目指すガイドブックとしてそれなりの意味がある本ですが、2022年7月3日という発売のタイミングを考え合わせるとウクライナの情報戦のプロパガンダの情報操作の書とみなさざるを得ません。
またEUの中東欧外交を専門とする国際政治学者でウクライナ研究会副会長でもある東野篤子は、2022年7月7日テレビ番組(ワイドスクランブル)で、「ウクライナに対して最も厳しい話をした」とツイートしていますが、「汚職によって支援各国の『出し渋り』を招いてしまわないためにも、ウクライナ現政権には汚職対策を推進して貰いたいものです。結局はそれが、ウクライナ復興への近道になるはずです」と理由を説明しています。東野はロシアのウクライナ侵攻について「ウクライナに非はない。瑕疵のない側に『降伏したらどうか』とか『NATOへの加盟は諦めろ』などと譲歩を迫るのは、理不尽だ」[3]と明確にウクライナ側に立っています。
東野はウクライナ戦争の渦中においても、ウクライナ支援への悪影響の可能性があるために汚職の現状の言及への煩悶を露にしながらも、最終的に実態を客観的に述べ改革の姿勢を示すことが復興に繋がるとの信念から、敢えて研究対象のウクライナに厳しい評定を行っています。東野の場合、研究対象が被支援国のウクライナと支援する側のEUに跨っていることにより、ウクライナの情報戦から一定の距離を置くことに成功しています。
【24.国際政治学の問題点】
しかし東野の場合、ウクライナとEUを対象とする地域研究者であると同時に国際政治学を専門としており、領域国民国家システムの枠組の中での国連における欧米のヘゲモニーの合法性/正当性を所与として受け入れています。そのため非欧米の中露も国連安保理の常任理事国として拒否権を有しており、冷戦終了後も国連、そしていわゆる「国際社会」もまたヘゲモニー闘争の場であるとの認識ができません。
つまり、ロシアのウクライナ侵攻は、国連と国際法秩序の合法性/正当性を侵犯し、ロシアが主権国家ウクライナに仕掛けた不法な戦争であり、戦争の当事者は戦争を仕掛けた不法なロシアと被害国であるウクライナであり、被害国であるウクライナへの支援はウクライナ側に立っての参戦ではなく、不法を正す義務であると考えているのです。しかし現行の国連のシステムでは拒否権を有する安保理常任理事国ロシアの行為を不法と断じることはできず、ロシアの主張するテロリスト「ネオナチ」掃討のための「特別軍事作戦」を「戦争」だと断ずる以上、それはウクライナを戦場とする国連のヘゲモニーを握る欧米とそれに挑戦するロシアの戦争であることを認めなければなりません。また、ウクライナとそれを軍事・外交・経済的に支援しロシアに経済制裁を課す陣営と、ロシアへの経済制裁を拒否し軍事・外交経済的にロシアを支援する陣営の戦争である、ということでもあります。
ですから、国際政治学者は、ロシアとウクライナの戦争が、ロシアと欧米の代理戦争であることを執拗に拒否し、戦争当事者ではなく、無垢のウクライナを侵略する悪のロシアに対する正義の審判者、執行者のポジショニングを取ろうとすることになります。その典型が篠田英朗で、欧米がウクライナの後ろ盾になっていることを指摘しロシアとの和平交渉を説く研究者を「陰謀論者」と決めつけSNSでもヒステリックな誹謗中傷を繰り返しています[4]。
ただし同じ国際政治学者であっても、「国際関係の理論研究者」野口和彦はより客観的、中立的で、「世界平和や世界秩序のためにロシアを懲らしめる」といった「水戸黄門」のような勧善懲悪のストーリーを「戦争に関する豊富な国際政治研究の成果をほとんど無視しているか、戦略のロジックに明らかに反する」と批判し、論理的で経験的に裏打ちされた既存の国際政治研究の洞察に基づき「日本も欧米諸国も、国際秩序を守るという名のもとに、安易に世界各地の紛争に介入することは控えるべきです」と述べています[5]。
欧米の自称する自由民主主義の陣営に自覚的に加わることは価値観、信念に関わることなので研究者の自由です。しかし、それが認知の歪みをもたらし、国際秩序の変動を見逃すことにつながるとすればそれは学問的に看過することはできません。
ロシアのウクライナ侵攻が、国際社会とロシア、正義と悪の戦いであり、対ロ経済制裁とウクライナ支援により簡単に勝利できるなら、問題はありません。しかし現状では徐々に戦争が長期化するとの見通しが強まっています[6]。
しかし、プーチンが本当に西欧のメディアや研究者が言う通りのその行動が予想できない邪悪な独裁者であるならば、戦争が長期化し窮地に陥れば世界を核戦争に巻き込むリスクが高まります[7]。筆者は日本がこれ以上アメリカに追随しロシアとの対決姿勢を強めるなら、ロシアが核使用の対象として日本を選ぶ可能性は低くないと考えています[8]。それについては近著『宗教地政学から見たロシアのウクライナ侵攻』において詳述しますが、広島、長崎に続いて日本がまた核攻撃を被ることに対する国民の合意形成がなされるまでは、ウクライナ戦争に対する態度決定は慎重であるべきだと筆者は考えています。
【結語】
以上、筆者はロシアのウクライナ侵攻の研究には、実態は各国研究の寄せ集めに過ぎない地域研究が不十分であることを示しました。ウクライナ戦争はいまや東欧・ロシアを超え全世界を巻き込みつつあり、その解決は言うに及ばずその意味を把握するためには学際的なアプローチが必要です。筆者はロシアのウクライナ侵攻の本質は宗教にあると考えており、宗教地政学の視点からの分析を一冊にまとめました。しかし、日本ではなじみのない宗教地政学的分析を正しく理解するためには、まず現在日本で流布している言説の基礎にある地域研究とそれに基づく国際政治学の方法論的問題を指摘しておかなければならないと感じました。本稿が読者のロシアのウクライナ侵攻への視野を拡げ、未知の世界の探求へと誘うことになれば、望外の幸せです。
<了>
【注】
[1] 私自身は政治的意思決定の形式面に着目し、現行の欧米の政治システムを「制限選挙寡頭制」と呼んでいるが、その実質的内容は、トッドの「リベラル寡頭制」とほぼ重なっています。
[2] 「地域研究 現場の悩み30門」『地域研究』第12巻(2012年2号)50頁。
[3] 「露と欧州 意思疎通欠く…筑波大准教授 東野篤子氏[視点 ウクライナ危機]」『読売新聞オンライン』2022年3月9日付。
[4] たとえば篠田英朗“ミアシャイマー「攻撃的リアリズム」の読み方――ウクライナ侵攻「代理戦争論」「陰謀論」の根本的誤り(上)”2022年4月22日『「平和構築」最前線を考える(38)』、篠田“ミアシャイマー「攻撃的リアリズム」の読み方”(下)(2022年4月22日)『「平和構築」最前線を考える(39)』参照。
[5] 野口和彦「ロシア・ウクライナ戦争の言説と国際政治研究」(2022年7月31日付)『アゴラ 言論プラットフォーム』参照。ヒトラーがミュンヘン会談におけるイギリスの弱腰の宥和政策から反撃がないと推論してポーランドに侵攻したのではなく、英仏とのバランス・オブ・パワーの計算からポーランドに侵攻したことを明らかにしたダートマス大学のダリル・プレス(Daryl G. Press)の画期的研究『信憑性を計算すること(Calculating Credibility)』(2005年)に基づき、「このロジックをロシア・ウクライナ戦争に適用すれば、アメリカは潜在的な現状打破国の将来の侵略を抑止するためだけの目的で、ロシアのウクライナ侵攻に関与するのは間違いだ」と野口は述べています。
[6] たとえば《ウクライナでの戦争、「何年も続く可能性」 NATO事務総長が警告》『BBCニュース』2022年6月20日付参照。
[7] ロシアのラブロフ外相は核使用を仄めかしており、アメリカもそれに備えた対応を迫られている。たとえばGerald F. Seib《プーチン氏「核の脅し」が生み出す新たな未来》2022年5月10日付『WSJ日本版』参照。
[8] 野口は、「アメリカや日本がヨーロッパでの戦争に政治的・軍事的な資源を傾斜的に投入することは、アジアでのバランス・オブ・パワーを中国やロシア有利に傾けます。このことは、これらの現状挑戦国【中国】にアジアでの機会主義的な勢力拡張を許すスキを与えかねません。―中略― 日本は明確かつ力強くアメリカがアジアに集中するように後押ししなければなりません。アメリカの現在の注意と関心はヨーロッパと今や中東に分散しています。放っておくと、日本は悲惨なことになるでしょう」と述べ、「ロシアの隣国である日本は、大規模な侵略を受ける可能性は小さいとしてもロシアの脅威と決して無縁ではない。またそれ以上に、軍事力による領土奪取の前例が東アジアおよび世界に与える影響によって、安全保障環境が悪化しうる国である。―中略― ロシアによる【ウクライナ】侵略を【軍事支援によって】終わらせることは、日本が欧米と共に負う責務であるとの政策提言は「『自己敗北的予言』すなわち自らが避けようとした災厄を自ら招いてしまう愚行になりかねません」と警告しています。野口「ロシア・ウクライナ戦争の言説と国際政治研究」参照。
文:中田考(イブン・ハルドゥーン大学客員教授)
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序 タリバンの復活とアメリカの世紀の終焉
第I部:タリバン政権の復活
第1章 タリバンについて語る
第2章 アフガニスタンという国
第3章 アメリカ・タリバン和平合意
第4章 イスラーム共和国とは何だったのか
第5章 タリバンとの対話
第6章 タリバンとは何か
第7章 タリバンに対する誤解を超えて
第8章 タリバンの勝利の地政学的意味
第9章 タリバン暫定政権の成立
第10章 文明の再編とタリバン
第II部:タリバンの組織と政治思想
第1章 翻訳解説
第2章 「イスラーム首長国とその成功を収めた行政」(翻訳)
序
1.国制の法源
2.地方行政の指導理念
3.地方行政区分
4.村落行政
5.州自治
6.中央政府と州の関係
7.中央政府
8.最高指導部
9.最高指導者
10.副指導者
結語
第3章 「タリバン(イスラーム首長国)の思想の基礎」(翻訳)
序
1.タリバン運動の指導部とその創設者たちのイスラーム理解
2.思想、行状、政治、制度における西欧文明の生んだ退廃による思想と知性の汚染の不在
3.国際秩序、国連、その法令、決議等と称されるものに裁定を求めないこと
4.アッラーの宗教のみに忠誠を捧げ虚偽の徒との取引を拒絶すること
5.領主と世俗主義者の指導部からの追放と学者と宗教者の指導部によるその代替
6.民主主義を現代の無明の宗教とみなし信仰しないこと
7.一致団結と無明の民族主義の拒絶
8.純イスラーム的方法に基づくイスラームの実践
9.政治的制度的行動の方法において西洋への門戸の閉鎖
10.女性問題に関する聖法に則った見解
11.ジハードとその装備
跋 タリバンといかに対峙すべきか
解説 欧米諸国は、タリバンの何を誤解しているのか? 内藤正典
付録 アフガニスタンの和平交渉のための同志社イニシアティブ