「不登校からどうやって立ち直ったんですか?」古市憲寿さんに聞く!(16)
「学校に行くこと」よりも「学校で何を教えるか」を見直した方がいい
クラスの世論をコントロールした学級新聞
不登校といっても本格的なものというよりも、半年とか短い期間だったんですけどね。ただ高学年になる頃には、学校から抜け出すんじゃなくて、「学校を自分が居心地のいい場所に変えていけばいいんじゃないか」と考えるようになっていました。
転機となったのは、小学校5年生のとき。
僕は学級新聞係になって、「この新聞を使えばクラス内の世論をコントロールできるんじゃないか」と気づいたんです(笑)。当時、僕のクラスには“ポイント制”がありました。いいことをすると先生から班にポイントが与えられて、そのポイントの多い班から掃除場所を選べるようになっていたんですよ。僕はこのシステムに目をつけて「新聞係にもポイントの発行権をもらえないか」と、先生に交渉しました。
その結果、新聞に載っているクイズに答えた人や、新聞に文章を寄せてくれた人にはポイントを与えられるようになって。つまり、ポイント発行権を持ったことで、新聞係がクラス内世論をある程度操作できるようになったんです。
閉鎖的な学校空間でストレスなく過ごすって、誰にとっても非常に難しいことだと思います。僕は今でも、学校の“クラス”はいらないものだと感じているんですよ。結局、クラスという閉ざされた世界があるから、スクールカーストやいじめが生まれやすいんじゃないでしょうか。
ほかにも、学校のシステムにはいろいろと思うところはあります。
学校のテストについても、そもそも「カンニング禁止」って合理的なルールなんでしょうか。大人になれば暗記した知識で勝負するよりも、資料を見ながら作業をすることの方が圧倒的に多い。言ってしまえば、カンニングがデフォルトの世界だと思います。だったら子供にも暗記なんかさせずに、テストのときはスマホもタブレットも持ち込みを許可して、検索では解けない問題を出題するほうがいいんじゃないかって。
もっと言えば、高校で教わることってだいたい忘れてますから……。高校の代わりにすぐに大学でもいいんじゃないかなあとも思います。
何が言いたいかと言うと、学校で教わることで大人になっても必要なことは、ほんの一部なんです。学校に行くという行為だけを正当化するのではなくて、子どもたちの将来を本気で考えて「学校で何を教えるべきか」ということを、根本的に見直していくべきだと思います。