「なぜ英国人奴隷や貴族は改宗しムスリムになったのか」その理由と起源【山本直輝】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「なぜ英国人奴隷や貴族は改宗しムスリムになったのか」その理由と起源【山本直輝】

イスラーム世界が歴史を動かす【山本直輝】

ヘンリー・スタンレー・アルダリー男爵の肖像画。作者不明

■2. ヘンリー・スタンレー・アルダリー男爵:英国初の改宗ムスリム貴族

 

 次に紹介するのは英国初の貴族院議員の英国人改宗ムスリム、ヘンリー・スタンレー・アルダリー男爵である。

 ヘンリー・スタンレーは1827年に政治家エドワード・ジョン・スタンレーの長男としてチェシャー州のアルダリーパークの領地で生まれた。ヘンリーの父親はヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)(1784-1865)の友人で、ホイッグ党政権のなかでいくつかポストを歴任した経験を持つ。彼の母親ヘンリエッタ・マリア・スタンレーは第13代ディロン子爵の長女で、女性教育の支持者であった。スタンレー家は他の貴族よりも宗教的・文化的に柔軟であったと言われており、ヘンリーも少年期にアラビア語に興味を持ち、アフリカ探検の夢を抱いていたという。

 実際に1846年にヘンリーはケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学し、アラビア語を学んだ。1847年にケンブリッジ大学を卒業したヘンリーはパーマストン子爵の補佐官として外務省に入省する。

 当時の英国、ひいてはヨーロッパ全体において議論されていた外交問題はオスマン帝国の領土と各地域の民族問題めぐって生じた東方問題であった。ヴィクトリア朝中期の英国はオスマン帝国に対して非常に対立的な態度を取っていたが、パーマストンに代表されるホイッグ党のリベラル層の一部はイスラームの精神性を高く評価し、ロシアの政治的・宗教的脅威に比べれば「許容可能な他者」と考えていたらしい。少なくともパーマストンはオスマン帝国はロシアよりも文明的であると考えており、補佐官として働いていたヘンリーも彼の考えに影響を受けるようになる。

 その後1850年にヘンリーはコンスタンティノープル(現在のイスタンブル)の英国大使館に赴任し、オスマン帝国市民たちとの交流を深める。50年代にイギリスに一時帰国した際には親戚が彼のことを「トルコ人のように振る舞う」と評していることからも、彼がかなりの親オスマンの外交官であったことは明らかだろう。

 そして1958年ヘンリーはエジプト、アラビア半島、スリランカなど中東、アジア圏の旅に向い、旅の途中でイスラームに改宗したようだ。『ボンベイ通信』がヘンリーが「預言者の聖地マッカから船に乗ってスエズに到着し、そこでイスラームに改宗した」と報じている。「ムハンマド教徒の恰好をしたイギリス人」のニュースはたちまち本国イギリスにまで届き、彼の家族は衝撃を受けることとなる。ヘンリーの家族は数年したら彼がイスラームに飽きるだろうと思っていたようだが、実際にはヘンリーは熱心な改宗者で一時の気の迷いどころか生涯に渡ってムスリムのアイデンティティを維持し続けることになる。

 さらに1869年に父親が亡くなったことで彼は家督を継ぎ、なんと彼はイギリス発の英国人イスラーム教徒の貴族院議員となった。貴族院議員となってからの彼はインドにおける英国統治の改善に努めたり、親オスマン派としてトルコ傷痍軍人救済基金に多額の資金を提供したりなど、英国貴族院のなかでは親ムスリムと呼べるような議員として活動した。

 その後1903年にヘンリーは亡くなった。彼の遺体はアルダリーパークの領地内にイスラーム式で埋葬されることとなり、埋葬の喪主は、在ロンドン・オスマン帝国大使館の一等書記官が務めた。さらにこのとき、リバプールのモスクでは、アブドゥッラー・クイリアムによって故人を偲ぶジャナーザ礼拝が行われた。このアブドゥッラー・クイリアムも、英国イスラーム史を代表する英国人改宗ムスリムであり、オスマン帝国のスルタンから「英国のイスラーム最高権威(シャイフルイスラーム・ブリテン)」の称号を与えられた人物である。

(続く)

 

文:山本直輝

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山本直輝

やまもと なおき

山本直輝(やまもと・なおき)

1989年岡山県生まれ。広島大学附属福山高等学校卒業。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。

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