「少年時代に好きだったゲームは?」古市憲寿さんに聞く!(24)
代償行為としてのゲームを必要としなくなった
ゲームの世界では必ず努力が報われる
小学校高学年くらいが人生の中で一番ゲームをしていました。ちょうど1994年の11月にセガサターンが発売されて、1995年のお正月に買ったことを覚えています。特によく遊んだのが『クロックワークナイト』『真説・夢見館』『デイトナUSA』『バーチャファイター2』……。
ジャンル関係なく、いろんなゲームにハマってました。本もそうなのですが、両親は僕が欲しいと言ったものは基本的に買ってくれていたので、月に2本くらい新しいゲームをしていた気がします。その後に出たプレイステーションもすぐに買って『ジャンピングフラッシュ』『MOON』あたりには何十時間使ったのかわかりません。
この時期のことを思うと不思議に感じるのですが、最近は全然ゲームをやらなくなってしまったんですよ。もちろん今でもゲームは大好きだし、WiiUとかプレイステーション4とか、新しいハードも一通りそろえているんです。人から面白いよって勧められたゲームは買うようにしていますし、自分でも気になったソフトはたくさん買うんですけど……やってみると、30分くらいで飽きちゃう(笑)。ここ5年くらいで、買ってから二回以上プレイしたゲームは『鉄拳6』くらいだったかな(笑)。
あらためて「なんで自分はこんなにゲームをしなくなったんだろう?」って考えてみたんですが、「今の僕がこの現実社会でそこそこ報われている」からかな……という結論に至りました。
ゲームは一言で言えば、「裏切らない世界」だと思います。アクションゲームはやればやるほどうまくなりますし、RPGゲームも敵を倒して経験値を積めば必ずレベルが上がります。ゲームって、そこにかけた時間とか努力が絶対に報われるシステムになっているんですよね。
けれども、現実の社会はそうではない。いくら頑張ったところで空回りすることはあるし、どれだけ訓練を積んでも、誰もが同じように上達するとは限らない。昔の僕は「努力が報われる」感じを、どこかでゲームに求めていたのかなと思います。今の僕は、現実でそれなりに自分の努力が報われている実感があるんですよね。だから、「報われる」ことの代替行為としてのゲームが、あまり必要なくなったのかもしれません。