「小児性愛犯罪」を産みやすい性差別文化もいずれは消えるので絶望しないで【藤森かよこ】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「小児性愛犯罪」を産みやすい性差別文化もいずれは消えるので絶望しないで【藤森かよこ】

馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性

◆小児性愛文学というジャンル

 小児性愛のうち、幼女や少女のみを対象にする人間を、日本では「ロリコン」と呼ぶ。幼女や少女への性的嗜好(しこう)が、日本でロリコン(ロリータ・コンプレックス、Lolita Complex)と呼ばれるようになったのは、言うまでもなく、亡命ロシア人作家で詩人のウラディミール・ナボコフ(Vladimir Nabokov、1899-1977)が1955年にフランスで、1958年にアメリカで発表した『ロリータ』(Lolita)という小説の影響だ。

ウラディミール・ナボコフ

 

 主人公の中年男性ハンバートは、初恋の少女の面影を持つ12歳の少女ロリータ(愛称)に近づくために、彼女の未亡人の母親と結婚する。その母親がハンバートの真意を知ったショックのために事故死したのち、ハンバートはロリータを連れてアメリカ中を放浪する。ロリータは彼に抵抗し、彼の友人の力を借りて彼から逃亡し、若い男の恋人を作り妊娠する。主人公は、ロリータが自分から逃げることを手伝った友人を殺害し、逮捕され獄中で病死する。一方、ロリータは出産で命を落とす。

 こうして、物語の筋だけを書くと、『ロリータ』は、単なる変態の中年男の妄執の悲劇を描いた小説に見える。しかし、1962年にはスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick,1928-1999)によって、1997年にはエイドリアン・ライン(Adrian Lyne、1941-)によって映画化されたほどに、この小説は読者を惹きつけてきた。ちなみに、ラインは、不倫に身に覚えのある男性たちを震撼させた『危険な情事』(Fatal Attraction,1987 )の監督である。

 『ロリータ』の魅力について、ナボコフ研究者の中田晶子は、次のように書いている。「小説では、pedophile である Humbertは自己中心的な恐ろしい怪物であるが、同時に永久に不可能な愛に苦しむ人間であり、同情しうる存在である、という矛盾を読者は受け入れざるを得ない。小説の Humbert の語りにはそれだけの力があるし、また Lolita の主題自体こうした両義性にある。Humbert の物語は恐ろしいpedophilia の物語であり、同時に永遠に満たされない愛の物語である」と。

 『ロリータ』を読んだ私自身も、そのような感想を持つが、単なるフィクションではなく、実際にこういう事件が起きたら、認知の歪んだ中年のおっさんの「永遠に満たされない愛の物語」につきあわされるのは、少女にとっては、実に迷惑で気持ち悪いものであるに違いない。

 1865年刊行の『不思議の国のアリス』(Alice’s Adventures in Wonderland )も、小児性愛が生産した文学作品として有名だ。作者のルイス・キャロル(Lewis Carroll、1832-98)、本名チャールズ・ドジソン(Charles Dodgson)は、オックスフォード大学の数学の教師であり、論理学者であり、作家で詩人だった。同時に写真家でもあった。彼の写真の被写体は少女たちだった。少女たちのヌード写真も多く撮影した。

ルイス・キャロル

 

 このルイス・キャロルの嗜好については、彼が神に最も近い純粋無垢な存在として裸の少女たちを見ていたのではないかと解釈されてきた。どう解釈しようが自由であるが、ヌード写真を撮影していたことは、少女たちへの性的欲望に喚起されてのことだ。たまたま知的能力が高かったので「視姦」で十分に満たされたのかもしれないが、現在ならば、確実に警察案件である。

 アメリカの小説家シャーウッド・アンダーソン(Sherwood Anderson,1876-1941)の『ワインズバーグ、オハイオ』(Winesburg,Ohio:A Group of Tales of Ohio Small-Town Life)は、1919年に発表された短編集であるが、その中には、教え子の少年に性的接触をしたということで職を失い老いた元小学校教師の男性に関する物語が含まれている。作者の目や語り手の姿勢は、子どもを愛してしまう性的嗜好を持つがゆえに孤独と社会的孤立に苦しむ老人に限りなく同情的であるが、子どもの親からすれば、彼は油断ならない変態でしかない。

 小児性愛文学に含まれる作品はまだまだあるが、文学作品として、どう美しく描こうと、現実の小児性愛犯罪はおぞましい。弁護の余地など全くない。小児性愛犯罪を防ぐために、小児性愛を美化するような表現は、法的に規制されるよりも前に、市民感情として受容されなくなっていくだろう。大人の認知の歪みによって、子どもを性的搾取することを愛と呼ぶような錯誤は、認められなくなっていくだろう。

 我が国の古典『源氏物語』における紫の上と光源氏の関係も、充分にロリコンであり小児性愛だが、これは1000年以上も前の事例なので、ついこの間まで原始時代だった時代の人類のすることに目くじらを立ててもしかたがない。

 

◆日本のアニメの小児性愛傾向

 ジブリのアニメ『となりのトトロ』で、さつきとメイが父親と入浴するシーンが外国では小児性愛的であるということでカットされているらしいと知って、私はなるほどなあと思った。

 作家の意図はどうであれ、ジブリのアニメには小児性愛的と思われかねないシーンが多いことは、前から指摘されてきた。たとえば、アニメの『魔女の宅急便』や『風の谷のナウシカ』を初めて見た時に、なんでヒロインの少女たちの風にたなびくスカートから下着が見えるシーンがやたら出てくるのだろうと私は不思議だった。

 またジブリ作品ではないし、作品名は忘れてしまったが、スクール水着姿の少女がやたら登場するアニメにも違和感があった。作家や監督にとっては、それは別に奇妙なことではないのだろうが。

 そもそもが、日本アニメはロリコン要素でいっぱいだ。中学生くらいの巨乳の美少女がヒロインである日本アニメは多い。というより、そればかりだ。それ以外のヒロインが思い浮かばないくらいだ。

 あまりに、そういうアニメばかりなので、舌足らずに話す少女が成人女性のような豊満な肉体の持ち主という設定をあたりまえのように感じてしまうが、これは相当に奇妙なことではある。巨乳の少女とは、男性にとっては、成人女性のようなセクシーな身体は持つが、自分にとって脅威にはなることはなく、常に自分の方が優位に立てる子どもだ。つまり、巨乳美少女とは、「自分を支配することはないが永遠に若く自分を受け容れてくれる幻想の母」の表象なのかもしれない。

 小児性愛犯罪の引き金になるという理由で児童ポルノの規制は、今後はより一層に厳しくなっていくだろうが、日本のアニメの巨乳の美少女という表象も、日本の小児性愛犯罪を喚起するものとして考える人々が増えていくかもしれない。

 同時に、自分の幼い娘に化粧を施し、肌の露出の多い衣類を身に着けさせる類の昨今の親にも厳しい視線があてられていくようになるかもしれない。自分の子どもが小児性愛者の欲望の対象になりかねないことに思い至らないとは、いかにも不用心で間抜けだろう。

 最近は、SNSに自分の幼い子どもの写真を掲載しない親が増えている。小児性愛犯罪を回避するためである。当然の見識だし危機管理だと思う。

 私は、NHKの番組で、肌の露出が多い衣類を身に着けた幼い少女が出演している番組を見た時に、NHKのスタッフには小児性愛者がいるのかといぶかしんだことがある。

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藤森 かよこ

ふじもり かよこ

1953年愛知県名古屋市生まれ。南山大学大学院文学研究科英米文学専攻博士課程満期退学。福山市立大学名誉教授で元桃山学院大学教授。元祖リバータリアン(超個人主義的自由主義)である、アメリカの国民的作家であり思想家のアイン・ランド研究の第一人者。アイン・ランドの大ベストセラー『水源』、『利己主義という気概』を翻訳刊行した。物事や現象の本質、または人間性の本質を鋭く突き、「孤独な人間がそれでも生きていくこと」への愛にあふれた直言が人気を呼んでいる。

 

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