「夫婦別姓を唱えているから統一教会だ」と非難する人たちの愚かさと危険性【仲正昌樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「夫婦別姓を唱えているから統一教会だ」と非難する人たちの愚かさと危険性【仲正昌樹】

「公共的理性」を欠いた人たちの民主主義

 

■自分が気に入らない“考え方”をする人間を反射的に攻撃する人たち 

 

 旧統一教会が推進している政策でも、それが保守的な観点からの国益に適っているのであれば、旧統一教会と“同じ政策”を推進することに基本的に問題はないはずである。“統一教会と同じことを言っている”などと反射的に言う前に、その政策が、旧統一教会だけの利益になっているかどうか吟味すべきだ。政治家が特定の教団と、政策協定を結んでいたり、選挙支援を受けたりすると、後で何かの便宜を図ってやらなければならなくなるかもしれないが、それはその人の主張自体が、公共的理由に基づいているかとは別問題だ。

 特に、政教分離とか信教の自由、家庭や団体の自己決定と個人の自己決定の対立、各人の責任能力の判定基準などは、憲法の根幹に関わる、公共性の高い問題なので、発言している人の宗教・思想的な背景・利害関係ではなく、その発言内容が本当に公共の利益に適っているかにだけ即して評価すべきである。たとえ、ある教団が、自分たちの内情が詮索されないようにするために、建前的に「政教分離」を主張しているように見えたとしても、その主張の中身が、当該教団だけでなく、宗教やそれに準じるスピリチュアルな世界観にコミットしている人々の大半にとって決定的に重要な利益に関わることであれば、素直にその主張を受けとめ、「公共的理性」によってその是非を吟味すべきだ。

 ロールズは、包括的教説を持った集団間の「重なり合う合意」に絞って議論をしているが、「公共的理性」論はより広範囲に応用できる。人間はいろんな動機から発言する。目立ちたい、実績を作りたい、〇〇に恩を売りたい、▲▲に嫌われたくない…といった利己的な動機から、公共の場で発言することはしばしばある。というより、そういう利己的な動機なしの発言の方が珍しいだろう。しかし、利己的な動機が見え隠れしているからといって、その主張内容自体が「公共的理由」に適っているとしたら、発言している動機をいちいち詮索すべきではない。その人の発言する動機に、個人的に関心を持つ分にはいいが、隠れた動機を明らかにすることが、その発言内容の公共性を否定する“反論”になると思っているとしたら、とんでもない勘違いだ。

 ハンナ・アーレント(一九〇六―七五)は、人間が、言論を中心とする人間らしい「活動」に従事するには、自らの姿を公衆の目に晒し、彼らの理性に働きかける「公的領域」と、生理的欲求を含めた様々な個人的な欲望の充足を図る「私的領域」が区分されていることが肝要だと指摘した。「公的領域」で語られることと、「私的領域」での振る舞いにギャップがあるのは当然だ。前者に一貫性があり、実際に公共の利益に適っているのであれば、少なくとも、「公共的理由」に基づく主張だと認めるべきだ。

 「公共的理由」に基づいた主張だと認めることは、相手の言っていることを丸呑みにすることではない。憲法裁判で、「表現の自由」と「プライバシー権」が衝突することがあるように、その事例で、いずれの「公共的理由」を優先すべきかという議論の余地は常にある。

 「公共的理性」を身に着けていれば、他者の掲げる「公共的理由」の意味を認めることはできるはずである。無信仰の人でも、信仰を持っている人にとっての信教の自由の意味は理解できないはずはないし、特に政治的意見を持っていない人でも、政治活動への参加の自由・平等の意味は理解できるはずだ。一生独身で過ごすと決めている男性でも、公共的理性を備えていれば、中絶をめぐる〈right of privacy〉の存在意義は理解できる。

 しかし、今の日本のネット論客たちは、自分から見て気に入らない“考え方”の連中は、みんな“同じ宗教”であるかのように大雑把にひとくくりにして、攻撃しようとする。「夫婦別姓を唱えているから統一教会だ」、「子供の権利と家族的価値観のバランスを取ろうなどと言っているから統一教会だ」、「宗教団体にも政治活動する自由があると言っているから統一教会だ」、という調子で。同じ様な調子で、「〇〇は、▼▼と同じ様に◇◇と言っているので、左翼テロリストだ」というような悪口を並べることもできる。

 今の日本には、こういう発言の愚かさが分からない人が多すぎる。

 

文:仲正昌樹

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✳︎重版御礼✳︎

哲学者・仲正昌樹著

『人はなぜ「自由」から逃走するのか:エーリヒ・フロムとともに考える』(KKベストセラーズ)

 

「右と左が合流した世論が生み出され、それ以外の意見を非人間的なものとして排除しよ うとする風潮が生まれ、異論が言えなくなることこそが、
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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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