AKBの痩せ姫・岡田奈々の「脱退」騒動に見る、アイドル=パパ活という構図。所詮、男女は化かし合い!【宝泉薫】
■アイドル=パパ活という構図ができた80年代アイドルブーム
特に転機となったのが、80年代のアイドルブーム。70年代までは、萌え感情も付随的に喚起させるような歌手や役者がアイドルと呼ばれたが、80年代からはアイドル自体が職業のようになった。萌え感情を優先させて歌や芝居をより魅力的にするという技術が発達し、徹頭徹尾「アイドル」で売るというやり方が一般化したのである。
ただ、疑似恋愛の対象として萌え感情を喚起させるには、アイドルの現実的恋愛はご法度にしておいたほうがいい。その作品を魅力的にするためにも、必要なルールというわけだ。
と、ここまで書いてきたことは、日本のアイドル文化に親しんできた人ならかなりわかってもらえるのではなかろうか。しかし、その妙味を要らないという人もいる。
一例を挙げるなら、今回の騒動について「AKB48『恋愛禁止』ルールのタテマエと実態─女性アイドル文化の制度疲労を引き起こす古いジェンダー観」という記事を書いた松谷創一郎という人がそうだ。
この人は「そもそもアイドルとは、ファンに疑似恋愛的な熱情をもたらす文化装置である。噛み砕いて言えば、恋人かもしれないと想像させるファンタジーだ」と、その本質を理解しながら「日本の多くのアイドルにとって最大のアキレス腱は、進展の見られないこの古いジェンダー観にある」「音楽のパフォーマンスが充実していれば、メンバーに恋人がいても関係ないからだ」などと述べている。
そして「K-POPでは、恋愛をオープンにする女性アイドルも目立ってきている。(略)それで人気が落ちることもない」と比較したうえで、こんなことを言うのだ。
「日本にオリジンを持ちながらも変貌を日々遂げているK-POPアイドルに対し、まるで伝統文化のように保守的な思想に拘泥する日本──それは男女の格差を計るジェンダーギャップ指数が99位の韓国と116位の日本との差でもあるのだろう」
そもそも論でいえば、恋愛をオープンにする時点でアイドルではないわけで、この比較自体が成立しない。萌え感情を喚起することで音楽のパフォーマンスをさらに充実させている日本のアイドルと、韓国のそれとでは方向性が違うのである。
また、ジェンダーギャップ云々については99位も116位も大して変わらないのにと苦笑してしまう。だいたい、この指数からしてあまり意味がなく、女性の政治家が多いというだけで順位がぐんと挙がったりするシロモノだ。日本で女性の政治家が少ないのは、工事現場の肉体労働者に女性が少ないのと同じで、男女それぞれの適性に合わせた棲み分けが上手く行っているあらわれでもある。
そんな棲み分けが機能している国ならではの文化のひとつが、アイドルだともいえる。その独特の妙味を愉しまずして、どこが面白いのかとも思うが、ポリコレ基準のアップデートとやらをうれしがり、伝統を否定する快感というのも世の中には存在するのだろう。
ただ、そういう見方をする人はあくまで少数派にすぎない。今回の騒動の決着の仕方も、安心できるものだった。
AKB48グループ総監督の向井地美音はツイッターで「今まで曖昧になっていた『恋愛禁止』というルールについて改めて考え直す時代が来たのだと思います。運営と相談し、どのような形であれ必ず結論を報告させて頂きます」と表明したが、その翌日、
「運営に確認を取ったところ『AKB48グループに恋愛禁止のルールはなく、メンバーそれぞれが自覚を持って活動することで成り立っている』とのことでした」
と、ツイートした。暗黙のルールのままにしておくほうが、AKB、ひいてはアイドルの妙味が保たれることを、運営はちゃんとわかっているのだ。日本の伝統、そして世の中の真理はやはり揺るぎなく、守られるようにできている。
そんなわけで、今後もこうした文化は不滅だろう。その分、今回のような騒動も繰り返されていくはずだが、そのたびにアイドルとファン双方に生じる痛みもまた、この文化の妙味なのである。
文:宝泉薫(作家・芸能評論家)
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