「サッカーを知っている選手」は何を“知っている”のか
「現役目線」――サッカー選手、岩政大樹が書き下ろす、サッカーの常識への挑戦
・いつのときでも「相手」が存在する
鹿島で10年間プレーし、幸せなことにたくさんのタイトルを獲ることができました。しかし、僕は10年間、必死に戦っていただけで、結果を出す秘訣も自信も、何もありませんでした。
鹿島にいるだけでは鹿島に何があるのかは分かりません。僕がプレーしてきた10年間はどういったものだったのか、それを外に出て、別の角度から見てみなければ、結局僕は何も分からないままで引退するように思いました。
鹿島での自分とできるだけ違う視点を得るために、海外でプレーすることと、日本国内で“これから”のクラブでプレーすることを望み、縁あって、タイのBEC TERO SASANAで1年プレーした後、今はファジアーノ岡山でプレーしています。
鹿島を離れ、3シーズン目を迎えましたが、少しずつ鹿島での10年を整理することができてきました。そしてまた新たな経験のもと、サッカーを捉え直してきました。
それはつまり、「サッカーを知っている」とはどういうことなのかを考えることと同義でした。
鹿島には何があったのか。サッカーを知っている選手とはどんな選手なのか。
おぼろげに見えてきた僕の答えとして、「サッカーを知っている」とは「相手を知っている」いう言葉に置き換えられると思っています(こういうことはいつも考えているので、あくまで今の時点での答えなのですが……)。
「サッカーを知っている」選手はいつも“相手”とプレーしています。判断にいつも“相手”がいます。
例えば、「どこにパスを出すか」とか「いつ動き出すか」という判断をするときに、味方の選手の動きだけでなく、相手の選手の動きや相手選手の心理も考えることができているか。
例えば、相手が仕掛けたい攻撃があるときに、その流れを削ぐようなプレーをできるか。
例えば、相手にとって流れがいい時間帯に、我慢の時間と割り切って判断を変えられるか。
先の中村憲剛選手のプレーで言えば、「ゴールに向かう」という判断をするかしないかを「相手」によって決めています。相手がしっかりと対応してきていればきっとボールキープに入ったでしょう。コーナーフラッグを目がけてドリブルをすることで「相手」がどのように考えるか、想像をしながらプレーしていることがうかがえます。