上島竜兵、村田兆治、YOSHIから、異端の医師、稀代の通り魔まで。巨星墜つ、の年に去っていった人たちを振り返る【2022(令和4)年】
【連載:死の百年史1921-2020】第17回(作家・宝泉薫)
生前に物議をかもした人では、佐川一政の死も挙げておきたい。31歳のとき、パリ人肉事件を起こし、時の人となった。25歳のオランダ人女性を殺して屍姦したうえ、その肉を食べたという猟奇事件だ。
その後、彼との文通をもとに「佐川君からの手紙」を書いた唐十郎が芥川賞を取ったり、彼自身も小説家になったりしたが、世紀が変わる頃には無職に近い状況に陥ってしまう。晩年の約10年間は、脳梗塞の後遺症で生活保護頼みだったという。
そんな佐川が仕事を失いつつあった頃、知り合いの編集者から消息を聞いた。ひとりで売り込みに来たそうで、
「取材でもデータ集めでも何でもやります、って言うんだけど、まさかそんな仕事を依頼するわけにもいかないしさ」
と、その編集者は苦笑していたものだ。
さらに、秋葉原通り魔事件の犯人・加藤智大の死刑も執行された。25歳のとき、自動車やナイフで7人もの殺人を行ってから14年目のことだ。
その動機は「勝ち組はみんな死んでしまえ」というもの。そんな重罪の対価として、命を奪われるくらいは当然とも考えられるが、例によって死刑廃止論者はこんなときも抗議をする。古川禎久法務大臣(当時)は、
「国民世論の多数が、極めて悪質、凶悪な犯罪については、死刑もやむを得ないと考えており、多数の者に対する殺人や強盗殺人などの凶悪犯罪が、いまだ後を絶たない状況等に鑑みますと(略)死刑を廃止することは適当ではないと考えています」
という見解を示した。
奇しくもその4ヶ月後には、葉梨康弘法務大臣(当時)の「死刑のはんこ」発言が話題に。廃止論者にとっては「はんこひとつで死刑だなんて」という感覚かもしれないが、殺された本人や家族・友人にとっては市中引き回しや火あぶり磔(はりつけ)でも全然足りないくらいだろう。
そして今年も、若い才能の夭折があった。11月5日未明、バイク事故で亡くなったYOSHIだ。その4日前には、YOSHIKIがプロデュースをして世界進出を目指す新グループのボーカルに選ばれ、これから大々的に売り出される予定だった。
それ以前にも、モデル、歌手、俳優として才能の片鱗は見せていたし、紗栄子との「逆・年の差」恋愛で華やかさもふりまいていたが、19歳という年齢を思えば、これからの人だったことは間違いない。
グループのお披露目になるはずだった年末の歌番組では、生前に録音された歌を使うかたちで、遺されたメンバーたちとのパフォーマンスが実現。演奏にも参加したYOSHIKIはこの番組の「直前SP」で、
「同じ夢を共有できる仲間ができたっていう。すごくうれしかった。(略)いかに才能があったアーティストだったかっていうのを届けたいですね」
と語っていた。20世紀前半のフランス文壇において、ハタチ(20歳)のレーモン・ラディゲに先立たれたジャン・コクトーのような思いだったのだろうか。
あるいは、事故で夭折したスターといえば、ジェームス・ディーンや赤木圭一郎、高橋良明らがいる。それらと比べても、YOSHIの場合は、自分が何者かをほとんど見せずに終わった感が強い。
まして、今の日本は古希と呼ばれる70歳はおろか、80代90代まで生きる人もざらにいる超高齢社会だ。その反面、少子化が進んだことで、若い人の死はなおさら哀しくもある。それを惜しむ気持ちも、筆者自身、以前より大きくなった気がする。自分も歳をとったが、日本という国ももう若くはないからかもしれない。
文:宝泉薫(作家・芸能評論家)
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