「太宰府」と「大宰府」どっちが正しい?!
『福岡 地名の謎と歴史を訪ねて』刊行記念。福岡の地名と歴史を訪ねる旅へ【第四回】
●「大宰府」と「太宰府」ダブル表記の謎
「大宰府」は、あるいは「太宰府」とも表記される。本来は「大宰府」だったが、奈良時代の文書からすでに「太宰府」との表記が登場し、中世からは「太宰府」が多くなる。近世はほとんど「太宰府」だ。「大」と「太」は別の漢字だが、どちらも「大きい」「はなはだしい」などの意味を持ち、江戸時代ころの古文書でも、厳密に書き分けられていないケースが多い。現在では史跡の表記に、「大」の方が使われることが多い。
明治二十二年(一八八九)四月、御笠郡内の数カ村が統合されて「太宰府村」と「水城村」が誕生した。二十五年九月には「太宰府村」が「太宰府町」となる。「太宰府町」は昭和三十年(一九五五)三月、「水城村」と合併し、昭和五十七年四月、市制施行して「太宰府市」となったのである。
市域は史跡の宝庫だ。政庁(都府楼)跡、筑前国府跡、水城跡、太宰府天満宮、観世音寺、筑前国分寺などなど。特に、この地で没した菅原道真を祭神とする太宰府天満宮は年中を通じて参詣者が多く、受験シーズンは合格祈願を願う人たちで、ごった返す。
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