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侍女1000人を従え、民衆には姿を見せない卑弥呼の生活

謎多き女王・卑弥呼の正体に迫る 第4回

『魏志』倭人伝の中で、倭国の女王として記されている卑弥呼。邪馬台国に居住し、30ほどの国を治めていたという。しかしその正体は実に多くの謎に包まれている。女王としての素顔と人物像を紐解く。

 

■女王・卑弥呼の人間像と生活とは?

 卑弥呼は女王になってからというもの人々と接することがほとんどなく、高殿(たかどの)を持った宮室に住んでいた。宮室の周囲は城壁や木の柵で厳重に守られていて、兵士がガードにあたっていた。

 生活の様子はというと、婢1000人が卑弥呼にはべっていた。男子は1人のみ出入りが許されていて、飲食物を運んだり、卑弥呼の言葉を人々に伝えたりしていた。さらに「男弟」がいて、クニの政治を治めるのを助けていた。

 『魏志』倭人伝からうかがうことのできる卑弥呼の暮らしぶりであるが、情報量があまりにも少なすぎることは否めない。しかし、想像をたくましくするならば、卑弥呼は邪馬台国にいるというのであるから、邪馬台国の王族の1人ではなかろうか。また、弟がいて政治を助けているのであるから、いわば卑弥呼が宗教王、そして、弟が宗教王の意を介して政治を執る政治王とみることができよう。弟は、邪馬台国の男王であったと思われるが、同時に30ほどのクニの集合体である邪馬台国連合の中においても、女王の卑弥呼の政治を助ける役割を果たしていたのかもしれない。両者を宗教王・政治王という位置づけにしたが、いうまでもなく専制君主といった強力なものではなく、30のクニの王たちによって共立された存在であった。

 卑弥呼は、壮大な宮殿に、なかば隔離されたような状態で住んでいる。これは人々に接しないためと思われ、その背景には、接触呪術があると考えられる。つまり、人々にふれられたり、見られたりすることによって呪的能力がなくなるのである。逆にいうと、卑弥呼はそうすることによって呪術の力を保っていたのである。また、卑弥呼はかなり年配で、独身であったというから、処女性が求められたといえよう。これも、呪力の維持のためには、処女であることが求められたからにほかならない。

 このようにとらえると、1000人の婢というのも巫女的な存在とみることもできよう。壮大な宮殿に居住して、決して人々に姿をみせることのない1000人もの巫女たちの集団、その中にあって女王として、邪馬台国連合の繁栄を日々、祈り続ける卑弥呼の姿が浮かび上がってくる。その卑弥呼の言葉を弟が邪馬台国連合の王たちに伝え、連合としての秩序が維持されていたのであろう。

 卑弥呼の立場は、実力主義の現代社会からみると、非常にもろくて危ういもののようにみえるかもしれない。しかし、そうでないことは、卑弥呼の死後、男王が立ったが人々は殺しあい、再び卑弥呼の一族の女性で13歳の壱与(いよ)を立てて女王としてようやく国中がおさまった、とあることからも明らかであろう。

 

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瀧音 能之

たきおと よしゆき

1953年生まれ。駒澤大学文学部史学科教授。専門は日本古代史。『風土記』を中心として、出雲の地域史の研究を行っている。著書に『古代出雲を知る辞典』『古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎』など多数がある。



 


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