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水雷戦隊が出撃し追撃戦に移行!
手負いのロシア艦を次々に撃沈する

日本海海戦と東郷平八郎 第18回

 先頭に立った「アレクサンドル3世」は主力艦を率いて南東へ向かった。連合艦隊司令部は黄海海戦と同じようなミスをくり返してしまった。

 だが、第2戦隊の旗艦「出雲」司令部では冷静に敵艦隊の動きを分析したうえで、第1戦隊に代わって敵艦隊をそのまま並航戦で追撃した。炎上を続けていた「アレクサンドル3世」、第2戦艦隊の「シソイ・ウェリキー」が脱落した。先頭に立った戦艦「ボロジノ」は残った艦隊を率いてウラジオストックへ向かおうと針路を北にとった。

 のちに東郷や秋山が「天佑」(てんゆう)と表現したように、この日は連合艦隊にツキがあった。主力艦隊を追って引き返してきた「三笠」以下第1戦隊の前に敵艦隊が進んできたのである。結果的に南北から挟み撃ちにする陣形になった。

 午後4時40分、東郷は駆逐艦、水雷艇隊の出撃を命じた。午後7時ごろ、「アレクサンドル3世」も沈没した。

 午後7時10分、東郷は艦隊に攻撃中止と鬱陵島(うつりょうとう)への集合を命じた。10分後、火薬庫の誘爆を引き起こした「ボロジノ」は夜空を焦がして日本海に消えた。

 その後は駆逐艦や水雷艇が手負いの艦船に群がった。魚雷攻撃を受けた旗艦「スワロフ」は午後8時30分、大爆発して沈没した。負傷したロジェストウェンスキー司令長官は駆逐艦「ベドウィ」に移乗しており、戦死は免れた。

 駆逐艦と水雷艇の夜襲は5月28日午前2時過ぎまで行われた。第1、第2戦艦隊は壊滅状態となり、日本海には炎上するロシアの艦船が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松田 十刻

まつだ じゅっこく

1955年、岩手県生まれ。立教大学文学部卒業。盛岡タイムス、岩手日日新聞記者、「地方公論」編集人を経て執筆活動に入る。著書に「紫電改よ、永遠なれ」(新人物文庫)、「山口多聞」(光人社)、「撃墜王坂井三郎」(PHP文庫)など。


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